昭和41年生まれのわたしは、古橋広之進さんの現役時代を知らない。それでも、“フジヤマのトビウオ”と呼ばれ、世界新記録を連発した彼の泳ぎが、敗戦にうちひしがれる日本に大きな勇気をもたらしたことは知っている。
 たぶん、長居での試合はそういう類いの試合だった。何年か後、平成23年3月11日の大地震に端を発した大災害からの、再起への一歩として記憶されることになる、あるいは復興へ向けて国民が頭をあげたきっかけだったと印象づけられることになる試合だった。歴史的な、試合だった。
 多くの方がそうだったように、わたしもカズのゴールには度肝を抜かれた。持っている、なんて陳腐な言葉では到底表現できない、聖なる運命のようなものさえ感じた。気心知れた仲間と所属チームでの得点すら少なくなってきた44歳が、即席チームの一員としてプレーしたにもかかわらず、日本代表のゴールネットを揺らしたのだ。これはもう、ほとんどおとぎ話の世界だといっていい。

 本人のたゆまぬ努力がなければ起こりえなかった奇跡であることは間違いない。だが同時に、彼の力だけではこの奇跡も起こらなかったのではないか、とも思う。闘莉王の落としに飛び出す彼のスピードは、W杯フランス大会の最終予選を戦っていた時よりも素早く、鋭く見えた。大げさではなく、何かが乗り移った、あるいは何かが強烈な力で彼の背中を後押ししているように見えた。
 誰も抗えないはずの“時の流れ”を、あの瞬間のカズはくい止めていた。逆転させていた。なにがそうさせたのか。
 小笠原の言葉だったのではないか。

 被災地を映像でしか見ていないわたしたちは、それでも、ある程度現状を知ったような気分になっている。だが、テレビは、新聞は、雑誌は、変わり果ててしまった亡骸を写すことはない。そこかしこに死体が転がるという地獄のような状況は、現場に足を踏み入れた者にしかわからないだろう。
 小笠原は足を踏み入れてきた。報道されないものを目にし、報道では伝わってこない匂いを嗅いできた。そんな彼の言葉は、圧倒的なリアリティーを持ってカズたちの胸に突き刺さったに違いない。なんとしても力になりたい、ならなければという激情にも似た思いを沸き立たせたに違いない。

 そして奇跡が起きた。簡単に使いたくない言葉だが、あのゴールは、まごうことなき奇跡だった。強い、爆発的に強い思いがあれば、44歳の選手にあれだけの速さが甦る。ならば、と思う。もしすべての日本人が、あの日のカズの心で戦うならば、W杯優勝なんて簡単なことなのではないか、と。

<この原稿は11年3月31日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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