CS放送のJスポーツでオンエアされていたマリオン・ジョーンズのドキュメンタリーを見た。シドニー五輪陸上競技で5つのメダルを獲得した彼女は、後にドーピング発覚してすべてのメダルを剥奪されたばかりか、偽証罪に問われて6カ月の実刑を受けた。番組には、いまは女子プロバスケットボールの選手として活躍する彼女の、印象的な言葉がちりばめられていた。
「完全に打ちのめされた人間でも、立ち上がることが可能だと証明したかった」。「嬉しかったのは、若い人たちから諦めないでくれてありがとうと言われたこと」
 いつか、被災地の方々に見ていただきたいドキュメンタリーである。
 さて、日本サッカー協会が南米選手権への参加問題で揺れている。どちらの結果になろうとも、苦慮に苦慮を重ねたうえでの決断だろう。個人的には、一度下された「不参加」の決断を6対4の気持で支持していたのだが、「それでも参加してほしい」という南米連盟の言葉に揺らいでしまった気持ちも痛いほどわかる。もし参加が実現すれば、日本はアルゼンチンで開催国に次ぐ声援を受けることになろう。独創的な声援で世界中のゴール裏に大きな影響を与えてきたアルゼンチンのサポーターが、日本のためにオリジナルのエールを送ってくれるかも……などと考えると、ゾクゾクするような興奮を覚えてしまう。「参加」の魅力は、やはり大きい。
 ただ、どんな決定を下すにしても、Jリーグを犠牲にしない、という前提だけは貫いてほしいと思う。

 サッカーのルーツを考えれば、まず母体、土台となるのはクラブであり、選抜チームによる試合が行われるようになったのは街々にクラブが行き渡ってからのことである。
 ところが、歴史の浅い日本では、代表チームによってサッカー人気が牽引されてきた。イングランドでは、代表チームがふがいない結果に終わったからといってプレミア・リーグに閑古鳥が鳴く、などということはありえないが、日本では、W杯の結果がJリーグの観客動員に直結してしまっていた。つまり、まず日本代表ありき、次にJリーグというのが、日本サッカー界のあり方だった。

 ゆえに、今回のケースでもっとも避けるべきは、Jリーグが代表選手抜きで行われる、つまりはJリーグと南米選手権が同時進行で行われるという事態である。そんなことになれば、代表のためにかしずくJリーグという図式は、ぬぐい去れないほど強固なものになってしまう。参加の方向で考えるのであれば、秋春制の可能性を探るという意味を込めて、Jリーグの閉幕を先延ばしするしかないと思うのだが……。

<この原稿は11年4月7日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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