天羽進亮(東洋大学体育会ラグビー部/徳島県吉野川市出身)第2回「“カッコ良いおっちゃん”からのスカウト」

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 2003年春、天羽進亮(あもう・しんすけ)は徳島県吉野川市の天羽家の第3子として生を授かった。父・誠二はラガーマン。天羽の5歳上の姉(長女)はラグビー日本代表のエンブレムに因んで「桜子」、3歳上の姉(次女)は高校ラグビーの聖地にあやかって「花笑」(はなえ)と名付けた。では「進亮」の由来とは?

 

 父・誠二の述懐――。

「長女は桜のジャージーのエンブレムと、私が日本体育大学出身なので校旗が桜だったことが由来です。生まれた時、桜がキレイな学校に勤めていたので“桜”を名前に付けました。次女は“花園に笑顔を”ということで“花笑”にしました。進亮は、ラグビージャーナリスト小林深緑郎さんの名前から“しんろくろう”と付けようとしましたが、妻から『私が付けたい』と言われました。それで“しんろくろう”の“しん”を残ししつつ、前進するという意味も込めて漢字を“進”にした。そこに妻が“亮”を加えて、“進亮”となりました」

 

 結果として、姉2人に比べればラグビー色の薄い名前となった。ただ最終的にラグビー界に足を踏み入れたのは、天羽一人だった。

 

 だが彼がラグビーを始めたのは高校に入ってからだ。習い事は小学1年生から水泳。5年生からサッカーを始めた。

「1歳上の従兄弟がサッカーをしていて、誘われてクラブチームでサッカーを始めました。僕のポジションはボランチ。結構ディフェンスが得意でしたね」

 水泳は小学校卒業までだったが、サッカーは鴨島東中学校に進んだ後も続けた。中学では県大会でベスト8まで進んだ。

 

 父・誠二は、息子がラグビーを始めることを期待しつつも、“ラグビーよりもサッカー”に気持ちが傾いていると感じていた。

「私が指導する学校(徳島県立脇町高校)の応援に、進亮は姉たちと共に来てくれていた。私の指導力不足だったのですが、選手たちが準決勝や決勝で試合に負ける姿を見て、進亮からは“がんばりょうお兄ちゃんたちが最後に負けて泣くん嫌じゃ”と言いよったんでね。実際にラグビーをするようになるとは思いませんでした」

 

 努力が報われるとは限らない。その現実が天羽がラグビーから遠のけていたわけではないだろう。天羽自身は「その時からラグビーは激しくて面白いスポーツだなと思っていました」と言うが、楕円球を追いかけるには至らなかった。サッカーに夢中だったことが要因だったのは想像に難くない。

 

「ラグビーに向いている」

 天羽がサッカー少年だった中学2年時。彼の様子を観に来た男がいる。男の名は稲垣宗員(いながき・ひろかず)。徳島県立城東高校ラグビー部のS&Cコーチを務める稲垣は父・誠二が教諭になる前、講師時代に指導をしたことがある教え子だった。稲垣は城東のスカウトも担当していた。

 

 稲垣は当時の天羽の印象をこう振り返る。

「試合よりも佇まいを見たかった。それを見て、“これはいいかもしれない”とピンとくるものがありました。試合前の“やるぞ”という空気感を帯びつつ、周りにちょっかいを出している。そのリラックスと集中のバランスがいいと思ったんです。それは教えてできることでもない。“ラグビーにも向いているな”と。ただ、この時はサッカーに夢中になっていた。だからラグビーに誘うのはまだ早いと考えていました」

 

 試合前の空気感は、1年経っても変わらなかった。稲垣は「これはもう間違いない」と直感し、満を持して天羽を口説きにいった。天羽が中学3年の春だった。再び稲垣の談。

「初速がまず速かった。それに加え、試合中ボールを奪われた後、取り返しにいくと、スピードが一段と速くなるんです。ピンチの時に一番スイッチが入るタイプです。僕はそういう人間が信用できる。その時、進亮は相手をファウルで止め、イエローカードを受けていた。ファイターであると同時に“サッカー向きではないな”と思いました。だからこそ自信を持ってラグビーを勧めました。なぜかというと、ボールを奪われてファウルをしてでも取り返す。それが続けば退場するリスクだってある。進亮には言いました。『オレがサッカーの監督だったら堪らない。だけどあのディフェンスもラグビーだったら反則にならない。だからラグビーに向いていると思うんだ』と」

 

 もうひとつ稲垣が目を付けたのが「指先が器用」という点だ。

「外遊びが好きで、手の巧緻性が高かった。サッカーボールで遊んでいる時、片手でキャッチしていた。その時の動作が自然とボールをいなすことができていたんです。ラグビーボールとサッカーボールでは違いますが、慣れていけば問ないと感じていました」

 城東には特色選抜と呼ばれる、いわゆる推薦入試があった。ラグビー部の枠は4人。稲垣は熱心に誘った。

 

 天羽にとって「稲さん」と呼ぶ稲垣の存在は「カッコ良いおっちゃん」だ。その人から熱心に誘ってもらい、うれしくないはずはない。かくして天羽はラグビーへの道を進むことを決意したのだった。

 

 

(第3回につづく)

>>第1回はこちら

 

天羽進亮(あもう・しんすけ)プロフィール>

2003年4月7日、徳島県吉野川市出身。小・中学校はサッカー部に所属。城東高校ラグビー部でラグビー部に入部し、ラグビーを始める。同高で1年時からレギュラーの座を掴み、1年時はフランカー、2年時からスタンドオフを務めた。全国高校ラグビー大会(花園)には3年連続で出場した。22年に東洋大学入学。2年時からスタンドオフのレギュラーに。3年時は秋のリーグ戦全7試合でスタメン出場し、2年ぶり2度目の全国大学選手権出場を果たす。身長174cm、体重82kg。リフレッシュは温泉に入ること。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 

 

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