「とんでもない相手とやることになったなぁ……」
 松山商2年生エース・酒井光次郎は、準々決勝進出の喜びよりも、次戦の相手の方が気になっていた。1984年、初戦敗退を喫した春の雪辱を果たそうと、松山商は夏の地方大会を制し、再び甲子園へと乗り込んだ。1、2回戦を完封勝ちし、3回戦も打撃戦を制して15年ぶりに準々決勝へとコマを進めた。そして次戦の相手は、桑田真澄と清原和博の“KKコンビ”擁するPL学園だった。
 その年の春、PL学園は決勝には進んだものの、東京代表の岩倉高に0−1で敗れ、準優勝に終わっていた。当然、夏は前年に続いての連覇達成に燃えていた。3回戦まで全て2ケタ安打をマークするなど、その勢いは凄まじく、やはり優勝候補の筆頭に挙げられていた。
「まだ2年生でしたけど、彼らの力は他とは頭一つ抜けていましたよ。そんな相手とやることになって、やっぱり怖さはありましたね」
 実は松山商は6月にPL学園と練習試合を行なっていた。酒井は清原にバックスクリーンへの特大アーチを浴びた。その時の残像が酒井の頭によみがえってきていた。とはいえ、酒井にもプライドがあった。同じ2年生にみすみす負けるわけにはいかない。酒井はそれまで以上に丁寧にコーナーに投げ分けた。

 初回、松山商が1点を先制した。その大会で初めて相手にリードを奪われたPL学園は、焦りが生じたのか、中盤までゼロ更新が続く。5回裏、ようやく同点に追いついたPL学園は、7回裏にも1点を追加し、逆転に成功した。一方、松山商は2回以降、すっかり立ち直った桑田から追加点を奪えずにいた。
 8回裏、PL学園の攻撃。2死後に迎えたバッターは清原だった。その試合、ヒットは1本許したものの、酒井は清原本来のバッティングをさせてはいなかった。2ストライクに追い込んだ酒井は、外角へのツーシームを投げた。外に強い清原は当然、そのボールを狙いにきた。だが、勢いよく振られたバットはむなしくも空を斬る。清原がその大会で初めて喫した三振だった。そして、それが酒井にとって甲子園での最後のピッチングとなった。

 1点ビハインドで迎えた最終回、松山商は先頭打者のキャプテンが意地を見せて、桑田から三塁打を放った。無死三塁と一打同点のチャンスにアルプス席からは歓声が沸き上がった。しかし、前年夏に1年生ながら優勝投手となった桑田は全く動じていなかった。逆に、松山商打線には絶好のチャンスに「打たなければいけない」というプレッシャーがのしかかっていたのだろう。結局、桑田の前に三者凡退に倒れて三塁ランナーを返すことができなかった。1−2。松山商は1点差に泣いた。しかし、見応えのある大接戦を演じた両チームに、満員のスタンドからは温かい拍手が送られた。

 後日、酒井はこんな話を聞いた。
「6月の練習試合、僕にとっても苦い思い出だったのですが、実はPL学園の選手にとっても僕らは嫌な相手として印象に残っていたようなんです。というのも、その練習試合で先発の桑田が3回4失点で降板したんですよ。それで後から聞いた話ですが、甲子園でも『松山商は一番、当たりたくない相手だった』と言っていたんだそうです。圧倒的な強さを誇っていたPL学園にそんなふうに見られていたなんて、素直に嬉しかったですね」

 大会は松山商が春に初戦で負けた相手、取手二高(茨城)が延長戦の末にPL学園を破り、初優勝を達成して幕を閉じた。その後、各校から優秀な選手がオールジャパンに選出され、韓国遠征を行なった。メンバーには3人の2年生が名を連ねた。桑田真澄、清原和博、そして酒井光次郎だった。それほどPL学園に対する酒井のピッチングの評価は高かったのだろう。彼は将来を嘱望される存在となっていた。

 しかし翌年、酒井は春夏ともに甲子園に行くことはできなかった。秋の大会では好投手擁する西条高に地区大会の初戦で敗退。最後のチャンスとなった夏も準決勝まで進んだが、またも西条高に逆転負けを喫し、甲子園の道を断たれた。1年秋からほぼ一人で投げ続けてきた酒井にもう、余力は残ってはいなかった。

(最終回につづく)


酒井光次郎(さかい・みつじろうプロフィール>
1968年1月31日、大阪府生まれ。小・中学校時代は主にファースト。松山商入学後に投手に転向した。1年秋からエースナンバーを背負い、2年の春、夏には甲子園に出場する。春は初戦敗退するも、夏はベスト8進出。準々決勝で“KKコンビ”擁するPL学園と対戦し、1−2で競り負けた。近畿大学時代には3、4年と全日本大学選手権連覇を果たす。1990年、ドラフト1位で日本ハムに入団。1年目で10勝をマークし、パ・リーグ会長特別表彰を受賞した。97年に阪神に移籍し、その年限りで現役を引退。98年からは台湾ナショナルチームの投手コーチを務め、2004年のアテネ五輪出場に貢献した。05年、統一ライオンズの投手コーチに就任。08年から3年間は横浜のスカウト、スコアラーを務めた。今季、信濃グランセローズの投手コーチに就任した。







(斎藤寿子)
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