「胴上げの回数と高さを見ていれば、その監督がどれだけ選手たちに慕われているかわかります」
 かつて、あるセ・リーグの主力選手から、そんな話を聞いたことがある。

「慕われている監督は何度も宙に舞う。しかも、その滞空時間が長い。
 ところが慕われていない監督は宙に舞っても、せいぜい3、4回。それも、ちょこっとあがった程度。要するに監督を支えている選手が少ないから、こうなるんです」
 では、他の選手はどうしているのか?
「よく、胴上げに背を向け、ジャンプしながらVサインしているような連中がいるでしょう。アイツらは間違いなく“不満分子”。
 監督を胴上げしたくはない。といって、胴上げに参加しないわけにはいかない。だから胴上げに背を向けてピョンピョン跳びはねているんです。
 こういう連中は、どのチームにもいますよ。だからといって、そういうチームが弱いとは限りません。むしろ“オレがオレが”というチームの方が強いですね」

 胴上げの回数が少ないだけならまだいい。中には選手から「落としちゃえ」と言われた監督もいる。
 これは、あるパ・リーグの元主力選手から聞いた話。
「チームはバラバラで、誰も監督のことが好きではないんだけど、なぜか勝っちゃう。
 優勝が決まる直前になって、あるベテラン選手が“胴上げで落としちゃうか”と言ったんです。
 ひとりの人間が“じゃあ3回あげた段階で、パッと手を離しましょう”と呼応し、そういう段取りになった……」
 しかし、史上初の“胴上げ落とし”は起きなかった。
「さすがにケガさせるのはマズイだろう、となって、ちゃんとグラウンドに降ろしましたよ。
 しかし、監督も察知したんでしょうね。翌年以降は胴上げされる際、まわりの気配をうかがうようになりました」

 日本シリーズ史上に残る名勝負といえば1979年の広島―近鉄の死闘だ。世にいう“江夏の21球”である。
 最終戦、9回裏、4対3と広島1点のリード。ここで広島は絶体絶命のピンチに見舞われる。
 無死満塁。一打出れば逆転サヨナラ負けである。
 しかし、ここで広島のバッテリーは踏ん張る。まずは代打・佐々木恭介を三振に切って取り、ひとつアウトをとる。
 迎えたバッターは石渡茂。キャッチャー水沼四郎にとっては中大の2年後輩にあたる。
「どこでスクイズやるんじゃ?」
 マスク越しにささやいても石渡はムスッとしたままだ。
「これは間違いなく(スクイズ)をやってくるな」
 水沼は直感した。
 カウント1−0の場面。サードランナーの藤瀬史朗がものすごい勢いでスタートを切った。
 その瞬間、水沼は立ち上がり、江夏豊はカーブの握りのままウエストボールを放った。
 ストレートなら、バットに当てることができたかもしれない。しかし曲がりながら落ちてくるボールにバットを当てるのは至難の業だ。
 結局、石渡のバットは空を切り、ホームベースの2、3メートル手前まで来ていた藤瀬がタッチアウト。
 傷心の石渡はひとつファウルをはさみ、最後は江夏が投じたインローのカーブにタイミングが合わず、空振りの三振。広島は球団史上初の日本一に輝くのである。

 石渡を三振に仕留めた瞬間、マウンド上の江夏は水沼に向かって走り寄り、飛びついた。
 その記念すべき写真は私の手許にもあるが、ジャンプした江夏をマスクを被ったままの水沼が両手で支えている。
 一匹狼の江夏が体全体で喜びを表現するのは、きわめて珍しい。
 当時、江夏と水沼の関係は決して良好ではなかった。学年は水沼の方が2つ上だが、実績では江夏の足元にも及ばない。試合後、連れ立って飲みに行くなんて皆無だった。
 それだけに、このツーショット写真は貴重なのだが、話は聞いてみなければわからないものだ。
 江夏が飛びつく瞬間、水沼の耳に「落とせ!」という声が響いたというのだ。
「江夏のことをよく思っとらん者が、それだけ多かったということじゃろう」
 水沼はそう語った。
 言外に「仲良しチームで勝負に勝てるか」というニュアンスが込められていた。

 今季の開幕は大震災による電力不足で延期になりそうだが、血沸き肉躍る戦いが見たいものだ。

<この原稿は2011年4月15日号『週刊漫画ゴラク』に掲載されたものです>

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