著名な俳優が、人気ミュージシャンが、そしてスポーツ選手が、次々と被災地を訪れている。欧米ではずいぶんと前から当たり前だった「社会的に影響のある人々のボランティア」が日本でも完全に根付いたのだと実感させられる。
 スポーツ=文化であると声高に主張する人が多い割には、文化の母体である社会に対する働きかけの意識が希薄なのが従来の日本だった。自分たちが何に貢献しようとしないのに、社会からの見返りだけを期待する姿勢には、腹立たしさを覚えたこともある。
 だが、それも過去の話となりつつある。仙台では、プロ・チームでさえないJFLの企業チーム、ソニー仙台の選手たちが避難所でサッカーを教えている。どれほどファンを増やし、どれほど共感を得てもチームとしてのメリットはほとんどないアマチュアの選手たちが、少年たちの笑顔を見るために避難所を回っている。自分たちは今週末に開幕するJFLへの前期欠場を決定しているのに、である。昭和の日本スポーツでは、ありえなかった行為といえるのではないか。

 さて、とうの昔に決着がついているはずだった南米選手権への出場問題が、いまだはっきりしない形でくすぶっている。
 日本サッカー協会にとって参加のメリットは何か。南米連盟への義理立て、選手の強化、そんなところだろうか。では、Jリーグ側にとってのメリットは何か。主力を引き抜かれ、戦力ダウンのデメリットがあったとしても、アルゼンチンで自分のところの選手が活躍してくれれば、大会後の集客力がアップする。修羅場での経験が、チームにいい影響をもたらすこともあるだろう。個人的には、南米選手権と並行して試合が行われる日程は避けるべきだと思うが、現場には現場の言い分があるのだろう。

 だが、ここにきてドイツのクラブが選手の貸し出しに難色を示したことで、話はまた変わってきた。長谷部や内田、岡崎のいない日本代表が、それでも南米の列強と互角にやりあえると考えるほどわたしは楽天家ではない。まして、穴埋めする選手が大学生ということになれば、数少ないJにとってのメリットもなくなってしまう。南米連盟が欧州のクラブと話をつける、という前提で再出場を決定したのであれば、前提が覆ったことも理由にもう一度不参加という選択肢も考えるべきではないか。

 Jと同時進行の日程で、A代表とも22歳以下代表ともつかない中途半端な選抜チームが大会に出場し、具体的な目標設定もないまま、うやむやのまま敗退する。選手にとってもファンにとっても消化不良の大会となり、笑うのは、ジャパンマネーを手にする南米連盟のみ。そんな図式の成立を、わたしは一番恐れる。

<この原稿は11年4月21日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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