ほんの1年前、日本代表にとって両サイドのディフェンスは頭痛の種だった。長友の評価は高まりつつあったものの、彼が右に入れば左が、左に入れば右がウイークポイントとなってしまう。それは、誰が入っても変わらなかった。
 W杯終了後、多くの日本人選手が欧州へと渡ったが、ゆえにわたしは、シャルケの判断には少なからず疑問を抱いていた。確かに内田の運動能力は素晴らしく魅力的だろうが、日本の中でさえ判断のまずさが目立つ選手が、果たしてブンデスリーガで通用するものなのだろうか、と。
 案の定というべきか、内田のデビュー初期は相当にお粗末な内容だった。相手からプレッシャーをかけられれば慌てる。パスの精度は低く、懸命のオーバーラップも黙殺されるばかり。メディアからは「シャルケの守りはここ数年で最悪」と酷評され、結局、マガト監督はシーズンを全うすることなくチームを去った。

 だが、本来は“マガト案件”であるはずの内田は、新体制に変わってからも定位置を失わなかった。それだけではない。弱体守備陣の中でも特に弱いとされた内田の右サイドは、いまやシャルケの中で最も安定し、かつ最も攻撃への可能性を紡ぎだすエリアであると言われるまでになった。これはひとえに、内田個人の成長によるものである。
 チームとしては完敗に終わったものの、欧州CL準決勝第1戦のマンチェスターU戦でも、内田の働きは光った。シーズン当初、相手の姿が視界に入っただけでバタバタしていた男は、世界的なスーパースターと対峙してもまるで慌てる気配をみせなかった。シャルケのGKノイアーの神がかり的な守りばかりに焦点の当てられた試合だったが、内田は、シャルケのフィールドプレーヤーでは数少ない合格点をつけられる出来だったといっていい。

 多くのドイツ人にとって、今季のブンデスリーガを象徴する日本人選手と言っていえば香川だろう。だが、今年1年間の成長度という点で言えば、わたしは香川よりも内田の方が上、それも相当に上ではないかと思う。彼は、たった1シーズンで、頭の中身をそっくりそのまま入れ換えた。運動能力だけでなく、判断の的確さでも勝負できる選手に変身した。これほどの短期間でこれほどの劇的な変化を遂げた選手を、わたしは知らない。

 なぜ、内田は変わったのか。鹿島時代、彼は外国人監督の指導を経験している。それでも、彼は変わらなかった。なのに、なぜ? マガトの指導力が卓越していたからか、ファン、メディアの厳しさが日本とは段違いだったからか――。本人の口から答えが出るのを待ちたいと思う。

<この原稿は11年4月28日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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