西本恵「カープの考古学」第82回<高卒ルーキー百花繚乱編その5/現役高校生にも声かけ!>
カープ3年目のシーズンは波乱の幕明けであった。エース長谷川良平が名古屋軍にかくまわれ、広島に戻ってきたのは、開幕前日の3月20日。当然ながら、登板できるはずがない。この窮地を石本秀一監督は、高卒ルーキーの大田垣喜夫や松山昇で埋めていく。
これは急場しのぎであったかのように映ったかもしれないが、石本監督はオープン戦から彼らに着実に経験を積ませながら、その技量を見極めていた。石本は戦力アップのために、いかなる手法をも惜しまず、動き回っている。その結果、高卒ルーキーに着目し、高額な契約金がかかる大卒や社会人選手に頼る戦力補強をしていないことが分かる。さらに輪をかけて、高卒の枠を超えた補強さえも行っているのだ。それは現役の高校生にも目を向けたことである。この常識を逸した、驚くべき選手獲得の策とは--。
学歴偏重時代へ向かう日本
カープは3年目の躍進を目指し、エース長谷川を欠きながら、高卒ルーキーらの新戦力を加えた投手陣でシーズンに入った。その矢先、驚きの報道がなされた。それは大学野球を経験した選手らに、大学の単位が取れずに落第した選手が多くいるというものだ。
<末吉、平古場ら大量落第><出席不足単位採れず>(「中国新聞」(昭和27年4月2日)と、中国新聞においては、3面のトップに掲げている。この末吉とは毎日オリオンズに入団した選手である。
<すでにパ・リーグの毎日チームで活躍している末吉俊信君(早大商)ら(中略)、早大野球部の有名選手>(同前)
記事はこう続く。
<さらに慶大野球部の平古場昭二主将(法)らも落第、卒業不能となって新たな問題を投げた>
平古場といえば、かの戦後初の甲子園大会で、優勝投手となり、その歴史に名を刻んだ人物だ。彼は、後に当時の社会人野球の強豪であった鐘紡に進み、引退後はプロ野球の審判として、野球に携わった人物である。
早稲田大学の末吉においては、この通知を受け、すぐに大学の事務にかけ合い動き出していることが伝えられた。
<「事務の方で聞いてみると三分の二以上の出席がなければならないところを三分の一しか出席しておらず、五単位が及第点になっていないとのことでした」>(同前)
野球の練習のみならず、対抗試合などもあった学生生活において、単位取得の難しさを伝えている。さあ、困ったといいたいところであるが、末吉はある行動で事なきを得た。
<「毎日球団も追試験のことは了解してくれているので九月の追試験にはぜひパスするつもりでがんばります」>(同前)
といった形で、学生らしい末吉の清々しいコメントが伝えられたのである。後に日本が高度成長時代に向かう中、学歴偏重社会ともいわれる時代に入る。その学歴社会が訪れる前においても、単位取得に尽力するという、末吉の立ち振る舞いは正解であったろう。
高校生に触手を伸ばす
こうした関東圏における花の大学野球の動きを尻目に、カープはひたすら高卒ルーキーの中から原石を探さなければならなかった。親会社のない球団経営の悲哀とも言えるが、石本監督は選手獲得資金がないならないで、頭をひねり、ありとあらゆるネットワークを張り巡らせる。石本は驚きの行動に打って出る。注目をしたのは、現役の高校生投手だった。

(写真:左から長谷部稔、川本徳三、長谷川良平【長谷部稔所蔵】)
その投手は、川本徳三――。広島市立基町高等学校の硬式野球部員である。川本はさきの開幕戦で完投勝利をあげた大田垣喜夫の一学年後輩。大田垣の存在は川本に大きく影響したとされている。
<ライバルとして投げ合った一年先輩の大田垣(のちの備前)善夫がいた>(『カープ50年―夢を追ってー』中国新聞社)
さらに入団の決め手となったのは、前年の昭和26年、夏の甲子園大会広島県予選の準決勝、尾道商業対基町高校の一戦だろう。この試合、2年生エースの川本の好投もむなしく、基町高校は、あと一歩及ばす2対3で敗れている。しかし、この試合で彼の存在が大きく知られることになった。
石本は高校生である川本との接触を企てた。定説ではこうなっている。
<「入ってやってみんか」。一九五二年(昭和二十七)年三月二日のことである。自宅近くで電器店を営む後援会役員に連れて行かれたカープ紅白試合先の尾道西高校(現尾道商高)グラウンド。川本徳三は、左投手不足に悩む石本秀一監督に引き合わされ、こう口説かれた>(同前)
石本は自身が靴底を減らし、広島県内を駆け回った。さらに、後援会はお隣山口県岩国柳井地区にまで創設された。この後援会組織からの情報をうまく戦力補強に活かした。この日の紅白戦第二戦(第一戦は帝人三原グラウンド)で、大田垣を紅軍の三番手で登板させ、結果、3対2で紅軍が白軍に勝利し、大田垣が勝ち星に貢献した姿を見せたのだ。
川本にとってみれば、昨年夏の好敵手だった大田垣が、プロで投げているところを見せつけられたとあっては、「自分もプロに」と気持ちが膨らんだことに違いなかろう。
さて川本の通った広島市立基町高等学校であるが、現在、県下屈指の進学校だ。部活も盛んで、当時の野球部も、まじめに活動をしていたことであろう。川本のピッチングは、カープに入団してからも、磨きがかかり、見どころがあったという。
<定評のあった切れのいいカーブに加え、スクリューボール、シンカーを覚えた>(同前)
そう川本は魔球ともなるスクリューボールをマスターしたのだ。左打者のひざ元に沈み込むボールによって、自身の生きる道を切り拓いていった。
経営的にも大金星
カープは創設から2年間、左投手不足に泣かされた。これは元球団職員の渡部英之の話であるが、「カープは左投手で巨人の松田清を大の苦手としていました。カープに左投手がいないわけですから、左腕対策もできなかったんです」という。
石本監督は、川本が高校在学中の選手とあって、契約金や年俸においても、高額にならないと見た上、バッティング練習においても、左腕対策が行なえると考えた。さらに、経営的にも大金星を得ることとなった。
彼の入団にかかわった後援会の役員は、新田静という人物だ。<安佐郡祇園町で「新田ミシン店」を営んでおり、カープの後援会の役員を務めた>(『広島カープ昔話・裏話~じゃけえカープが好きなんよ~』(トーク出版)
石本はこの役員を動かしたのである。創設期のカープのユニホームといえば、替えがなく、特に前年の昭和26年度において支給は一着のみ。新入団選手がやって来たかと思えば、控えの若手がユニホームを脱がされ、それをそのまま着用させて出場させたという逸話もあるほど、モノにおいてもないないづくしであった。

(写真:左袖に「フマキラー」の文字がみてとれる<前・大沢清、後・長谷部稔>【長谷部稔所蔵】)
ところが、川本の入団により、地元企業が動いたのである。当時、川本の地元、祇園町にあった優良会社である大下回春堂(後のフマキラー)だ。
<後援会のお世話をする新田静らが大下回春堂にもちかけ、ユニホームをカープに寄付することになった>(同前)
当時、同じく高卒で入団(昭和25年)したキャッチャー長谷部稔が、この時のユニホームについて「ユニホームの生地はサージで、縫製もかなりしっかりしていた」と語っている。
このユニホームは事実、昭和27年のシーズン中からホーム用、昭和28年からはビジター用で使用され、左腕の部分に袖章として、「フマキラー」の文字が刺繍されている。プロ野球における袖章入りのユニホーム第一号の誕生だ。ないならないで、作ってもらえばいいとばかり、実に石本監督らしい考えのこもったユニホームであった。
それもこれも石本監督の、高卒選手のみならず、現役高校生をも入団させるという奇策に出たことが発端だ。これによりカープはホームとビジターのユニホーム二着を手にすることができ、どうにか、こうにかやっていくのである。
加えて、この川本の入団発表と同日、エース長谷川の復帰もかなうのだ。
<広島カープでは、二十五日、連盟に対し、さる二日復帰した長谷川良平投手の登録手続きをとった><なお、新入団の川本徳三選手も同日登録手続きがとられた>(「中国新聞」昭和27年3月26日)
カープは新しいユニホームを身にまとい、いよいよ3年目の鯉のぼりのシーズンに入っていく。するとここでも、今シーズン入団の選手が好投し、一大旋風を巻き起こしていくのである。さあ、カープの新入団選手に目が離せない。ご期待あれ。
【参考文献】
「中国新聞」(昭和27年3月26日、4月2日)、『カープ50年―夢を追ってー』千原忠二(中国新聞社)、『広島カープ昔話・裏話~じゃけえカープが好きなんよ~』(トーク出版)
<西本恵(にしもと・めぐむ)プロフィール>スポーツ・ノンフィクション・ライター
1968年5月28日、山口県玖珂郡周東町(現・岩国市)生まれ。小学5年で「江夏の21球」に魅せられ、以後、野球に興味を抱く。広島修道大学卒業後、サラリーマン生活6年。その後、地域コミュニティー誌編集に携わり、地元経済誌編集社で編集デスクを経験。35歳でフリーライターとして独立。雑誌、経済誌、フリーペーパーなどで野球関連、カープ関連の記事を執筆中。著書「広島カープ昔話・裏話-じゃけえカープが好きなんよ」(2008年・トーク出版刊)は、「広島カープ物語」(トーク出版刊)で漫画化。2014年、被爆70年スペシャルNHKドラマ「鯉昇れ、焦土の空へ」に制作協力。現在はテレビ、ラジオ、映画などのカープ史の企画制作において放送原稿や脚本の校閲などを担当する。2018年11月、「日本野球をつくった男--石本秀一伝」(講談社)を上梓。2021年4月、広島大学大学院、人間社会科学研究科、人文社会科学専攻で「カープ創設とアメリカのかかわり~異文化の観点から~」を研究。
(このコーナーのスポーツ・ノンフィクション・ライター西本恵さん回は、第3週木曜更新)