デビュー戦でKO負け。どん底に叩き落された大村は次の試合までの4カ月間、悶々とした日々を過ごした。「今度こそ勝ちたい」と思えば思うほど、「今度負けたらどうしよう」との不安が頭をもたげてくる。2戦目の相手はプロのでの実績はなかったが、アマチュア経験の豊富な選手だった。映像で見ると、確かにボクシングはうまかった。
 しかし、拳で成り上がると決めた以上、連敗は絶対に許されない。
「もう心まで折ってやる」
 大村は意を決して、リングに上がった。アグレッシブに1Rからガンガン攻めた。4カ月間の練習で激しく打っても燃え尽きないスタミナもついていた。何より気持ちが燃えていた。

 大村の鬼気迫る攻撃に圧倒されたのか相手は持ち味が出せない。優勢のまま進んだ試合は最終4R、ついに左フックが炸裂した。渾身の一撃をくらった相手はもう立ち上がれない。担架でリングから運び出された。初勝利は圧巻のKO勝利だった。

「もう、それだけで充分でしたね。本当にうれしかった」
 小説家アーネスト・ヘミングウェイは『勝者には何もやるな』という短編集を書いている。努力を重ね、自分を乗り越え、相手を乗り越える中で勝ち取ったものは何にも増して尊い――。このタイトルにはそんな意味が込められている。

 ボクシングはある意味、惨めなスポーツである。敗者は殴り続けられたあげく、場合によってはキャンバスに横たわる姿を大勢の観客にさらすことになる。万雷の拍手を受け、意気揚々と引きあげる勝者とのコントラストは一層、際立つ。だからこそ勝利のカタルシスは何物にも代えがたいのだろう。それは一度、味わってしまうと、また味わいたくなる蜜の味なのである。

「ボクシングをやる前に、“やればやるほどハマる”という話を聞いたんです。最初は半信半疑だったのですが、確かに1度、勝つとハマっちゃうんです」
 ここから大村の快進撃が始まった。その後も2試合連続でKO勝利を収めると、2006年の東日本新人王戦では初戦で優勝候補とも目された島村国伸を判定で破る。トントン拍子で勝ち進み、ついに決勝へとコマを進めた。

 顔を合わせたのは清水秀人(木更津グリーンベイ)。4歳年下のサウスポーだった。
「テクニシャンでうまかったですね。身長が高くてリーチもあった」
 大村はガムシャラに攻めるが、懐の深い相手になかなかパンチが届かない。逆に距離を詰めたところへ、左を被弾し、2Rにダウンを喫してしまった。結果はユナニマス・ディジョンによる判定負け(0−3)。準優勝という結果は残したが、ボクシング人生2度目の敗北を喫した。

>>第2回はこちら
(第4回につづく)

<大村光矢(おおむら・みつや)プロフィール>
1981年4月2日、愛媛県出身。日本スーパーフェザー級3位。高校を中退後、極真カラテの道へ。全国大会出場も果たすなど実績を残し、2004年に上京。プロ格闘家を目指して、ボクシング技術を磨くため、三迫ジムに入門。そこでボクシングの魅力に惹かれ、05年にプロデビュー。翌年、東日本新人王トーナメントで準優勝に輝く。09年に日本ランカー入りすると、10年9月に日本ライト級王座に初挑戦。5RTKOで敗れるも、本来のスーパーフェザー級での王座獲得を視野に入れている。強靭なスタミナとスピードを生かした突進が持ち味の右ファイター。身長168cm。



(石田洋之)
◎バックナンバーはこちらから