イタリアを1周する自転車レース「ジロ・デ・イタリア」。フランス1周の「ツール・ド・フランス」、スペイン1周の「ブエルタ・ア・エスパーニャ」と並んで「グランツール」と呼ばれる世界の三大ステージレースだ。100年以上の歴史を誇る世界的なレースで、5月9日の第3ステージで悲しい事故が起こった。タイトなコーナーを下っている最中に、ワウテル・ウェイラント(ベルギー)選手が転倒、前頭部を強打し、還らぬ人となったのだ。ジロ102年の歴史上では4人目、グランツールでみるならば1995年のファビオ・カサルテッリ(イタリア)選手以来のレース中の死亡事故ということになる。
 時に100kmを越えるようなスピードで下り坂を駆け抜けていき、平坦部でも前後左右数十センチの距離でひしめき合うように走るサイクルロードレース。それをヘルメット以外に防護するものがない状態で行うのだから、怪我が起きるのは日常茶飯事だ。3週間も走るグランツールでは、包帯やガーゼ姿が痛々しい選手たちが集団の中に多く見られるのが当たり前となっている。選手やチーム関係者の中でも転倒(自転車用語では「落車」と呼ぶ)することはそれほど特別ではなく、淡々とレース復帰に向けて対応するのが通例である。しかし、それが死亡事故となると大きな衝撃で、チームメイトを始め、選手仲間はもちろん、大会関係者すべてに重苦しい空気がのしかかってきた。

 しかし、驚くべきはそんな大事故が起きてもレースは止まらないということだ。その日のレースは彼がヘリコプターで搬送、蘇生を施されている間にゴールしたので中止とならなかったのは仕方ないとしても、翌日のレースが勝負を競わない追悼の走りとなっただけで、翌々日には通常のレースが再開されている。これがもし日本だったら間違いなくジロはここで中止となっているはず。さらには翌年以降の大会継続にまで議論は及んでいるだろう。

 ところがイタリアでは、大会関係者から中止を検討する話しは出なかったし、観客やメディアの中でもそんな議論やムードはなかった。確かに死亡が発表された後に「レースの継続は、選手たちの意向を尊重したい」という大会オーガナイザーからの発表があったが、ジロを去って行ったのは、ウェイラントのチーム「レオパード・トレック」と、彼と親交のあったタイラー・ファラー(USA)選手のみ。その他のチームでは「撤退」という議論はなかったという。

 ロードレースの選手たちはチームを越えた運命共同体のような連帯感があり、その仲間を失ったショックは大きかったはずだ。選手たちのコメントからもそれを窺い知ることができた。でも、「走ることが自分たちにできること」というスタンスをしっかりと持っており、その後もジロ・デ・イタリアは通常通り続いている。

 ジロは過去の死亡事故でも、もちろん中止にされていないし、1995年のツールの際にもレースは止まることなかった。この時は、カサルテッリのチームメイトであったランス・アームストロングが、数日後に弔いの勝利を挙げたことも記憶に新しい。また今回も、このツールの時も、遺族は大会の継続を望んでいたという。大切な夫の命を奪っていったレースの継続を望む妻。走り続ける仲間の選手、それを温かい声援で包む観客、メディア。ファンの立場としては涙が出るくらい熱いものがわき上がってくる感覚だったが、レースを報じる立場で見た場合、日本との感覚の違いに驚かされる。これが歴史の差だと言ってしまえばそれまでだろう。あらためてサイクルロードレースへの理解の差を感じざるを得ない。

 ロードレースは字のごとく「ロード」つまり通常の「道」で行われるレース。競技場のようなクローズドスペースで行われるのでなく、普段は車や人が行き交う一般的に使用されている「道」で行うのが特徴だ。街から街へつながるヨーロッパの道や、古い市街を自転車が駆け抜けて行く姿こそロードレース。だからこそ、安全管理も難しく、このような事故や、人、車との接触が起きたりもする。それでも、クローズドスペースに逃げたり、過剰な防護策や安全管理をしないで、その「道」そのものでレースが開催される。「なぜならロードレースだから」というのが彼らの答えだ。この答えにロードレースに対する社会の理解の深さを窺い知ることができる。

 このヨーロッパの考え方が正しいとか、日本的思考が間違っているなどと言うつもりはない。しかし、このロードレースへの理解の深さは、感心させられると同時に、嫉妬心さえ生じてしまう。まさにスポーツが文化として、人の生活の中に深く根付いている証だろう。

 今日も「ジロ・デ・イタリア」は続いている。
 きっと100年後も続いているはず。
 ウェイラントの魂も、ジロと共に走り続けていることだろう。

 あらためてワウテル・ウェイラント選手のご冥福をお祈りします。


白戸太朗(しらと・たろう)プロフィール
 スポーツナビゲーター&プロトライアスリート。日本人として最初にトライアスロンワールドカップを転戦し、その後はアイアンマン(ロングディスタンス)へ転向、息の長い活動を続ける。近年はアドベンチャーレースへも積極的に参加、世界中を転戦している。スカイパーフェクTV(J Sports)のレギュラーキャスターをつとめるなど、スポーツを多角的に説くナビゲータとして活躍中。08年11月、トライアスロンを国内に普及、発展させていくための新会社「株式会社アスロニア」の代表取締役に就任。『仕事ができる人はなぜトライアスロンに挑むのか!?』(マガジンハウス)が発売中。
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