「ボクシングの日」の19日、東京・後楽園ホールでは歴代の世界王者が集結して、東日本大震災の支援チャリティーイベントが開催された。メインとなったOPBF東洋太平洋&日本スーパーウェルター級タイトルマッチでは、王者のチャーリー太田(八王子中屋)が、挑戦者の湯場忠志(都城レオスポーツ)を9R15秒TKOで下し、防衛に成功(OPBFは4回目、日本タイトルは3回目)した。湯場は初の日本タイトル4階級制覇達成はならなかった。
(写真:2つのベルトを守り、観客にアピールするチャーリー)
 5月19日は日本ボクシング界にとって記念すべき1日である。1952年のこの日、白井義男が後楽園球場でダド・マリノ(米国)を破り、日本人初の世界王者(フライ級)となったのだ。日本プロボクシング協会では、5月19日をボクシングの日と定めている。ファイティング原田、具志堅用高、内山高志、亀田興毅ら男女45名の世界王者が会場に集う華やかな雰囲気の中、見ごたえのあるタイトルマッチになった。

 両者が拳を交えるのは、昨年9月以来、2度目。この時は序盤からペースをつかんだチャーリーが、豊富なスタミナで終盤に突き放し、3−0の判定勝ちを収めている。
 再戦とあって、2人ともお互いの特徴は分かっている。立ち上がりから試合は動いた。王者が長い腕を伸ばして右ストレートを繰り出すと、挑戦者も左ボディから左ストレートと多彩なパンチで応戦。1R終盤には早くもチャーリーの右がヒットし、湯場は左目の上をカットした。

 出血が激しかったこともあり、湯場は早めに決着をつける作戦に出る。チャーリーのジャブに左を合わせた。ストレートは王者の固いガードに阻まれたが、ボディが何度も相手の懐をえぐった。対する王者も強打を時折見せるが、挑戦者の左を警戒して、なかなかペースが上がらない。
「湯場さんは右が当たらない体勢をとっていた。(パンチも)前回は強い左だけだったが、速い左、軽い左といろいろあってやりにくかった」
(写真:「(自分のパンチは)右より左のほうが当たりやすかった」とチャーリーは振り返った)

 4Rを終えての採点は3者すべてが湯場を支持。クリーンヒットは少なかったものの、手数の差で挑戦者が優位に立った。攻めるしかないチャーリーは5R、「カモン!」と声を上げ、拳で自らの胸を叩く。湯場も雄叫びをあげ、これに応じ、打ち合いに出た。前回の対戦では11Rに湯場が自らの両拳を叩いて気合を入れ、激しい攻防が繰り広げられた。それを彷彿とさせるシーンが早くも中盤に訪れ、場内は大いに沸いた。
 
 ただ、これは裏を返せば、試合が終わりに近づいていることも意味していた。6Rに入ると、湯場の動きが鈍り、チャーリーが圧力をかけて前に出るようになる。
「ペースが落ちてタイミングが合い始めた。手ごたえをつかんだ」
 挑戦者は早期決着を狙った反動でスタミナが切れてしまった。8Rにはついに王者の長いリーチが湯場の顔面をとらえる。ロープ際まで吹き飛ばされ、連打を浴びる。ここはラウンド終了のゴングに救われたが、形勢は完全に逆転した。

 9Rも挑戦者は何とか立ち上がったものの、一気に勝負を決めにきた王者の猛攻にはなす術がない。湯場が8R終了時にアゴの異常を訴えていたこともあり、チャーリーのラッシュにたまらず、青コーナーから白いタオルが飛んだ。

「湯場がオーバーペースだったから、10Rくらいで仕留められると思った。採点は(接戦で)想定外だったが、結果的には予定通り」
 ジムの中屋廣隆会長はそう試合を振り返った。ただ、ジャッジの採点が序盤は挑戦者有利に傾いたため、「有効打はなかったが、ガードの上からパンチを受ける形になって印象が悪かった。うまくパンチをよけるディフェンスを身につけて欲しい」と今後の課題も指摘した。

「これからも強い相手とやりたい。ファンが喜ぶような試合をして、ゆくゆくは世界のベルトに挑戦したい」
 次の防衛戦は8月の予定だ。その8月には30歳を迎えるチャーリーだが、まだプロ転向5年目で伸びしろはある。日本タイトル3階級制覇の難敵を2度退け、また一歩、階段を上がった。

>>星に願いを チャーリー太田<前編>「黒船、来る」(2010年10月掲載)はこちら
>>星に願いを チャーリー太田<後編>「大切なのはディシプリン」(2010年10月掲載)はこちら

(石田洋之)