2010年9月4日、後楽園ホール。これまでのボクシング人生を賭ける一戦がやってきた。日本ライト級タイトルマッチ。大村にとってはプロ18戦目で初のタイトル挑戦だ。相手は荒川仁人(八王子中屋)。2度目の挑戦で日本王座を獲得したテクニシャンである。
「テクニックでぶつかったら負ける。1、2ラウンドはとにかく前に出る。そこから自分のボクシングに持ち込もうと思っていました」
 大村は自分の最大の長所であるアグレッシブさを全面に押し出した。立ち上がり、押し込んだ大村の左が王者を捉える。挑戦者の気迫に圧倒されたのか、荒川も一瞬、怯んだ様子をみせた。

「チャンピオンは冷静なので、最初にペースを乱して、そこから足を使って左を突く。そういうボクシングを狙っていたんです」
 射場哲也トレーナーはファイトプランをこう明かす。持ち前の前に出るボクシングと、射場トレーナーとの出会いから磨き始めた距離をとるボクシング。新しい大村のスタイルを、この一戦で出し切るつもりだった。

 たが、リング上の現実は想定とはかけ離れたものになっていく。荒川は頭を下げて突っ込む相手をアッパーで起こし、懐に入れさせない。先手先手でパンチを繰り出し、うまく距離をとった
「チャンピオンとただの日本ランカーの違いですよね。荒川さんは熱くならずに立て直してきました」

 2Rには右フックを浴び、ダウン。乱気流に巻き込むどころか、王者は安定飛行に入ってしまった。
「ガーッと行ったのはいいんだけど、また昔の形に戻ってしまった。足が使えなくなっちゃいましたね」
 射場トレーナーがそう分析したように、ペースを乱したのは大村のほうだった。攻撃が単調になり、強引な突破を試みるたびに王者のパンチを被弾する。

 そして5R、荒川の左ストレートが挑戦者の顔面を捉える。大村のアゴが上を向いた。場内は悲鳴と歓声が同時に鳴り響く。たまらず大村が後退し、荒川が連打を浴びせたところへ、レフェリーが割って試合を止めた。5R54秒TKO負け。
「ぶっちゃけ、あの左はあまり見えなかったですね。でも、まだやれる、まだ止めるのは早いと思っていました。まぁ、何を言っても負け惜しみになりますけど……」
 呆然と敗者はリング中央の勝者を見つめた。大村の日本タイトル初挑戦は不完全燃焼で終わってしまった。

「まぁ、本来の階級からすればひとつ上だったから体ができていなかった。でもタイトルマッチの経験を一度積んだほうがいいと思ったからね」
 三迫仁志会長はサバサバと敗戦を振り返った。内容は完敗だった。それでも地元の西条からも詰めかけた応援団は、大村に大きな拍手を送ってくれた。この敗戦を、ただの1敗には終わらせない。リングを去りながら、大村はそう心に誓った。

(最終回につづく)

<大村光矢(おおむら・みつや)プロフィール>
1981年4月2日、愛媛県出身。日本スーパーフェザー級3位。高校を中退後、極真カラテの道へ。全国大会出場も果たすなど実績を残し、2004年に上京。プロ格闘家を目指して、ボクシング技術を磨くため、三迫ジムに入門。そこでボクシングの魅力に惹かれ、05年にプロデビュー。翌年、東日本新人王トーナメントで準優勝に輝く。09年に日本ランカー入りすると、10年9月に日本ライト級王座に初挑戦。5RTKOで敗れるも、本来のスーパーフェザー級での王座獲得を視野に入れている。強靭なスタミナとスピードを生かした突進が持ち味の右ファイター。身長168cm。



(石田洋之)
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