横浜F・マリノスのユース時代にJデビュー。順風満帆だったサッカー人生に影が差したのは、正式にトップチームに昇格した2009年だった。サテライトの試合に出ていた齋藤は相手と接触し、左ヒザを痛める。
「それまでヒザのケガは経験がなくて、打撲だと思ったんです。でもボールを触ったら超痛い。すごく調子良かったんですけど、トレーナーに言ったら、すぐ交代になりました」
(写真提供:愛媛FC)
 病院での診断結果は左ひざ半月板損傷。縫合手術を行い、半年間をリハビリに費やした。待望のプロ初ゴールは復帰後まで待たなくてはならなかった。2010年6月5日、ヤマザキナビスコカップの予選リーグ、対ヴィッセル神戸戦。後半からピッチに送り出された齋藤は後半30分、自ら持ち込んでシュートを放つ。クリアボールを拾った山瀬功治(現川崎)が右サイドからクロスを上げると、迷わずゴール前に飛び込んだ。左足を合わせての貴重な同点ゴール。劣勢の展開をワンプレーで挽回した。

「J1でやれている自分がいた。気持ち的にも充実していましたね」
 そのプロ初ゴールをアシストしてくれた山瀬からは、貴重なアドバイスをもらった。
「ドリブルは選択肢のひとつ」
 ジュニアユース、ユースではスピードを生かしたドリブル突破で活躍してきた齋藤だが、Jのトップクラスではそれだけでは通用しない。オフ・ザ・ボール、つまりボールを持っていない時の動きも含めて幅を広げる――先輩の教えはチームを移った今でも心の中に残っている。

「味方がボールを奪った時の動きが速い。いい準備ができているので、こちらもできるだけ早くいいボールを出そうと意識させてくれる」
 同い年のMF越智亮介は齋藤加入によるチームの変化をこう語る。愛媛で評価されているのは、攻撃だけではない。相手ボールになった際にしっかりプレスをかけ、ファーストディフェンダーとしての役割も果たしている。

 6月12日のホームゲーム、ガイナーレ鳥取戦。0−2とビハインドの後半21分、雨でぬかるんだピッチで相手のクリアが小さくなったところを逃さず、追撃のゴールをあげた。今季の4ゴール目はホームでの初得点。これで息を吹き返した愛媛は終了間際に立て続けにゴールを決め、逆転勝ちを収めた。2点差をひっくり返しての勝利はJ昇格後初めてのことだった。

 現在、ロンドン五輪を目指すU-22日本代表は2次予選を目前に控えている。もちろん齋藤も出場資格を持つ“ロンドン世代”だ。U-17時代はAFC選手権優勝に貢献し、ワールドカップも経験している。このまま結果を出し続ければ、再び代表の青いユニホームを着る可能性も高まってくる。
「もちろん代表は目標です。最初はロンドンを目指す気持ちもありました。ただ、嘘になるかもしれないけど、そんなに執着もしていない。今は愛媛をどうやって勝たせるかしか考えていない」

 将来的には海外でプレーしたい夢もある。パラグアイ、メキシコ、スペイン、ギリシャと4カ国でプレーした福田健二と出会い、その思いはさらに強くなった。そのためにも、まずはオレンジのユニホームで実力をアピールしなくではいけない。愛媛のメッシが日本のメッシになるその日まで――。齋藤学は貪欲にゴールを狙い続ける。

(おわり)

<齋藤学(さいとう・まなぶ)プロフィール>
1990年4月4日、神奈川県出身。ポジションはFW。小学1年でサッカーをはじめ、3年よりセレクションに合格し、横浜F・マリノスの下部組織プライマリーへ。同ジュニアユース、ユースでは端戸仁(横浜FM)、水沼宏太(栃木)らとプレー。06年にはAFC U-17選手権で代表入りし、優勝に貢献。07年のU-17W杯にも出場を果たす。08年には二種登録ながらJリーグデビュー。リーグ戦7試合に出場する。09年よりトップチームに昇格し、翌年のヤマザキナビスコカップ(対神戸)でプロ初ゴールをあげた。11年より愛媛に期限付き移籍。スピードを生かしたドリブルと相手DFの裏へ抜ける動きが持ち味。身長165cm、54kg。



(石田洋之)
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