垣田真穂(早稲田大学自転車部&チーム楽天Kドリームス/愛媛・松山学院高校出身)第2回「“狭き門”をくぐり抜けた末の競技転向」
福岡県北九州市で生まれた垣田真穂(早稲田大学自転車部&チーム楽天Kドリームス)。その名前は両親の祖父から漢字1字ずつを取って付けられた。また「穂」については女子サッカー界のレジェンドにも由来しているという。ちなみに垣田が生まれた2004年はアテネオリンピックが行われた年である。

(写真:©公益財団法人JKA/Shutaro Mochizuki)
母・みゆきはこう振り返る。
「たまたま澤穂希さんのインタビューを見た時、“この人すごいな”と思ったのがきっかけなんです」
またアテネオリンピックで澤らサッカー女子日本代表はベスト8だったものの、今ではすっかり定着した「なでしこジャパン」もこの年に付けられたものだ。その名前に導かれたわけではないが、垣田も小学2年生からサッカーを始める。
これは1歳上の兄の影響だ。垣田の談――。
「何をするにもずっと一緒でした。小さい頃から負けるのが嫌いだったから、お兄ちゃんにも全力で行っていました。自分で勝手にライバル意識を持っていました。その頃は男女でもあまり差がでないから、自分の方が勝てたりもしました。負けるのが嫌いなので頑張りました」
地元サッカークラブの穴生JFCに入団し、男子に交じってボールを追いかけた。ポジションはサイドハーフ。本人曰くプレースタイルは「スタミナ系」である。
「別に上手なわけではなかったから、めっちゃボールを蹴って、思いっきり走る。サイドから中にパスを入れてみたいな感じのプレーでした」
ただ運動神経には自信があった。3歳から水泳をやっていたこともあり、持久力系のスポーツを得意とした。福岡のシーサイドももち海浜公園で行われたアクアスロン(スイムとランの2種目で争う競技)の大会(シーサイアクアスロン IN シーサイドももち2012)に出て、小学2年生の部で優勝した。母・みゆきによれば、「ちびっこマラソン大会では北九州1位」になるほどである。「親戚のおばちゃんからも『小学4年生になったら福岡のタレント発掘事業というものがあるから、絶対受けなよ』という感じで勧めてもらっていたんです」とも。かくして垣田は、その福岡県タレント発掘事業に応募することになる。
発掘事業への参加
福岡県タレント発掘事業とは、運動能力の優れた小中学生を選抜して育成し、適性競技を見極めて国際舞台に送り出すためのプロジェクトだ。日本スポーツ振興センター(JSC)が後援し、日本オリンピック委員会(JOC)も協力している事業である。2004年度からスタートし、修了生は21年の東京オリンピックで3人、パリオリンピックでは垣田を含め8人が出場した。2024年度の選考会には5万6000人を超える応募者が集まり、55人のみしか受からなかったという高倍率である。
垣田が応募した12期も数万人の応募があり1次から3次まで続く選考会を経て、数十人に絞られた。その“狭き門”をくぐり抜けた者たちは週に1回、専門的なプログラムを受けてトップアスリート教育を施される。いろいろな競技を経験し、自分に合った競技を見つけられる。中学生になると各競技の強豪高校で指導を受けることもあった。
この福岡県タレント発掘事業の発展形が2017年にスポーツ庁の主導で発足した「ジャパン・ライジング・スター・プロジェクト」(J-STARプロジェクト)だ。<オリンピックやパラリンピックなど世界レベルの競技大会で輝く未来のトップアスリートを発掘する>ものである。垣田は1期生として参加。そこで自転車競技の才能を見出され、19年全日本ジュニア競技大会・中学生女子の部(18.0km)でいきなり優勝を果たした。
「それ(全日本ジュニアの優勝)が私にとっては大きかったですね。小さい頃からオリンピックに出るということが夢だった。それを考えた時、自転車競技の方が、結果が出ているし、オリンピックに近づけると考えました」
団体競技のサッカーから個人競技の自転車へ――。
「向いているのは自分でも感じました。自転車競技の方が集中して取り組めそうだとも。自転車は勝っても負けても自分のせい。自分に負けるのも嫌いだったし、人のせいにもできませんから。始めた頃は自分が頑張った分だけ結果が出るって思っていたし、そこにとても魅力を感じました。ただ正直言うと、J-STARプロジェクトで初めて自転車競技のテストをした時、めちゃめちゃきつくて、“やりたくない”と思ったんです。だから『自転車競技が向いている』と言われた時、嫌でしたし、“続けなきゃいけないんだ”とも思ました。でも今は自転車競技を選んで良かったと思っています」
サッカー少女はボールを追いかけ、蹴るために使っていた脚力を、ペダルを漕ぐ動力へと変える決断をした。そこから垣田の快進撃は始まっていくのだった。
(第3回につづく)
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<垣田真穂(かきた・まほ)プロフィール>
2004年12月14日、福岡・北九州市出身。小学2年からサッカーを始める。小学5年時に福岡県のタレント発掘事業に参加。中学ではジャパン・ライジング・スター・プロジェクト(J-STARプロジェクト)で自転車競技の才能を見出され、松山城南(現・松山学院)高校進学から本格的に競技を転身した。全国高校選抜大会や全国高校総合体育大会(インターハイ)など数々のタイトルを獲得。2022年はジュニアカテゴリのアジア選手権でも優勝。23年春に早稲田大学に進学。日本代表のエリート。24年にアジア選手権で3冠を達成。パリオリンピックは2種目(チームパシュート、マディソン)に出場した。2024全日本トラック選手権で5冠を達成。イタリアのUCIコンチネンタルチーム「BePink-Bongioanni」(ビーピンク・ボンジョアンニ)。身長167cm。好きな食べ物は母親が味付けをし、父親が揚げる鶏の唐揚げ。
(文/杉浦泰介、写真/©公益財団法人JKA/Shutaro Mochizuki)