垣田真穂(早稲田大学自転車部&チーム楽天Kドリームス/愛媛・松山学院高校出身)第3回「ストップされた高校時代の無敗街道」

facebook icon twitter icon

 2020年春、垣田真穂は愛媛県の松山城南高校(翌21年から松山学院高校に校名変更)の門を叩いた。松山城南は当時・全国高校総合体育大会(インターハイ)3連覇中の強豪校。福岡県タレント発掘事業、「ジャパン・ライジング・スター・プロジェクト」(J-STARプロジェクト)で、自転車競技の才能を見出されていた彼女を放っておくわけはなかった。

 

(写真:垣田<中央>にとって同学年で同じ福岡県出身の池田瑞紀<左>とは高校時代から切磋琢磨してきた仲 ©公益財団法人JKA/Shutaro Mochizuki)

 垣田を熱心にスカウトしたのが松山城南の自転車競技部監督・鮫島浩二である。

「垣田は競技の適性を測る発掘事業で、福岡でダントツ1番だった。そこから中央まで上がってきた子。自転車の適性テストの際、とんでもないワット数(パワー)を叩き出したので『尋常じゃないぞ』と、その名は知られていました。中学3年時の全国ジュニア(全日本ジュニア競技大会・中学生女子の部)で日本一になるなど、身体能力は桁違い。瞬発力があり、スピード、パワーに加え、スタミナもありましたから」

 

 選手を見抜く目には自信があると言う鮫島。松山城南は、北は北海道から南は九州までと全国から選手を集めている。数多の選手を見てきた鮫島の目には、“垣田は伸びる”との確信があったのだ。

「1つ目はオーラ、立ち居振る舞いです。例えばピットで準備している姿、それからゲートに向かう姿。それに勝ち負け関係なく、レース後の姿。その全てでオーラが出ているんです。一流選手とそうじゃない選手の違いとでも言うんでしょうかね。歩いているだけでも見え方が全然違います。将来性がある選手は自然とキラキラして映るんです。それに選手として強ければいいというものではありません。強くても所作が悪かったり、態度が悪かったりする選手は絶対伸びない。その点、垣田は礼儀がきちんとしていましたし、レース直後の疲れた状態でも自転車の整備を怠らない。そういったアフターケアを親に丸投げ選手もいますが、垣田は自ら率先してできるタイプでした」

 

 だからこそ熱烈なアプローチを続けた。実は垣田、鹿児島の高校に進学予定だったのだが、鮫島は彼女の元へ通い詰め、諦めなかった。

「相当通いましたね。お父さん、お母さんもはじめは相当嫌だったと思います。“もう来てほしくない”という雰囲気は感じましたから。それでも“諦めたらいかん”と思い、一生懸命何回もお願いに行きました。それで『1回、松山に来てください。ウチの練習会に参加しそれでも“やっぱりオマエには預けん”と思われるなら、断ってください』と」

 

 当の垣田はどう思っていたのか。当時をこう振り返る。

「本当に自転車のことをわかっていなかった。それこそどの学校が強いとかも知りませんでした。一度、松山に体験会に行った時、本当にチームの雰囲気が良かった。女子の先輩がいたので、それが結構心強かったな、と思います。本当に初心者だったので不安がなかったわけではありませんでしたから」

 鮫島も「体験会で時間が経つにつれ、どんどん顔色が変わっていった。すごく楽しそうに参加してくれていた」と手応えを感じ取っていた。体験会を終え、福岡に戻る道中で松山城南に行くという決断をした。

 

 高校からは親元離れ、寮生活となった。本来は人見知りだが、不安よりも「楽しみな気持ちの方が強かった」という。加えて自転車競技への本格転向。これまでの生活とのギャップに困ったことはなかったのか――。垣田は語る。

「特に苦労というのは感じていなかったです。本当に何も分からず飛び込んだ。ただガムシャラに先輩に言われたことをこなし、全力でついていきました」

 

ライバルで親友の池田瑞紀

 

 彼女の気持ちを前向きに走らせたのは、負けず嫌いな性格かもしれない。

「もう最初から“負けないぞ”という気持ちしかなかった。他の学校の選手にも、男子にも“負けたくない”“ついていくぞ”みたいなマインドでずっと走っていました」

 

 練習の虫だった。「高校のみんなの意識がすごく高かった。他の誰かが練習していたら、“自分もしなきゃ”と思っていました」。出場したレースには“気持ちだけは誰にも負けない”と臨んだ。潜在能力は高かった。トラックでもロードでも強さを発揮し、負け知らずで突き進んでいった。

 

 1年生時の9月、長野県で行われたJOCジュニアオリンピックカップは2冠(女子U172km個人パシュート、同ポイントレース)を達成。翌年の3月、福岡県での全国高校選抜自転車競技大会は3種目(女子2kmインディヴィデュアル・パシュート、女子6kmスクラッチ、女子個人ロードレース)を制覇した。その後も連勝街道をひた走る垣田。7月の全日本自転車競技選手権大会トラックレース・ジュニアの部で2冠(女子2km個人パシュート、女子ケイリン)。8月のインターハイで3冠(女子2kmインディヴィデュアル・パシュート、女子ポイントレース、女子個人ロードレース)を手にした。

 

 ところが垣田の快進撃をストップさせる者が現れた。同学年の池田瑞紀(福岡・祐誠高)だ。垣田と同じ福岡県タレント発掘事業、J-STARプロジェクトを経て、バスケットボールから自転車競技に転向した。

 高校2年時の3月、大分で行われた全国高校選抜。垣田は2種目(女子スクラッチ、女子個人ロードレース)で優勝したが、女子2kmインディヴィデュアル・パシュートは池田に敗れ、2位だった。

 

 池田との直接対決に敗れたのが初めてなら、自転車競技を始めてから全国大会で負けたことも初だった。この経験は垣田にとって、ひとつの分岐点となるものだった。

「今まではずっと勝つことにだけ集中してやってきました。もちろん、それも大事なことなんですが、途中から自分で自分を追い詰めてしまっていた。“勝たないといけない”と。でも1回負けたことによって、そういう気持ちもなくなり、心から競技を楽しめるようになったと思います。以降はレースの勝ち方にもこだわるようになり、もっとチャレンジして走るとか、レース中にいろいろと考えられるようになった。今振り返れば、いい負けだったのかなとも思っています」

 高校3年間で計14個(個人種目)の全国タイトルを獲得した。3年時には、それまでコロナ禍で出場できなかった国際舞台にも出場。アジア選手権はジュニア2冠(ポイントレース、オムニアム)を成し遂げた。ジュニア世界選手権トラックのマディソン(池田とのペア)で2位、世界選手権ロードではジュニアの5位に入った。

 

 輝かしい実績を引っ下げ、23年春、垣田は松山学院を卒業。ライバルであり親友の池田と共に早稲田大学に進学。更なる高みを目指し、練習拠点をトラック種目日本代表の強化拠点である静岡に移したのだった。

 

 

(最終回につづく)
>>第1回はこちら
>>第2回はこちら

 

垣田真穂(かきた・まほ)プロフィール>

2004年12月14日、福岡・北九州市出身。小学2年からサッカーを始める。小学5年時に福岡県のタレント発掘事業に参加。中学ではジャパン・ライジング・スター・プロジェクト(J-STARプロジェクト)で自転車競技の才能を見出され、松山城南(現・松山学院)高校進学から本格的に競技を転身した。全国高校選抜大会や全国高校総合体育大会(インターハイ)など数々のタイトルを獲得。2022年はジュニアカテゴリのアジア選手権でも優勝。23年春に早稲田大学に進学。日本代表のエリート。24年にアジア選手権で3冠を達成。パリオリンピックは2種目(チームパシュート、マディソン)に出場した。2024全日本トラック選手権で5冠を達成。イタリアのUCIコンチネンタルチーム「BePink-Bongioanni」(ビーピンク・ボンジョアンニ)。身長167cm。好きな食べ物は母親が味付けをし、父親が揚げる鶏の唐揚げ。

 

(文/杉浦泰介、写真/©公益財団法人JKA/Shutaro Mochizuki)

 

shikoku_ehime

facebook icon twitter icon
Back to TOP TOP