川﨑F長谷部監督の挑戦がJ指揮官の道しるべに
ここ数年、わたしがJで注目する監督と言えば、町田の黒田監督だった。世界を見渡してもなかなか例のない高校教師からの転身が、どんな波及効果をもたらすのか。正直なところ、その影響は想像していたよりもはるかに大きく、その効果がどんな形で表れるのか、楽しみにしている。
今年に関してはもう一人、目を離せない監督が増えた。
藤枝東出身の痩せっぽちなMFがメキメキと台頭してくるまで、わたしの中でも「長谷部」と言えば「誠」ではなく「茂利」だった。
東京、千葉、埼玉に比べると核となる学校が存在しなかった存在しなかった神奈川に、突如として現れた桐蔭学園。高校はもちろん、大学、社会人、いや、日本代表でさ「危なくなったらクリア」が常識だった時代に、李国秀監督に率いられた桐蔭は信じられないほどにモダンなサッカーを展開した。
時期を同じくし、ユース年代の強化を狙ってつくられた全日本ユース選手権の準決勝。名波浩や藤田俊哉、望月重良といった後の日本代表選手をズラリとそろえた清水商との準決勝は、スコアこそ1-5という一方的なものに終わったものの、内容ははるかに拮抗していた印象がある。そして、背番号10を背負い、怪物たちを相手にしなやかなゲームコントロールを見せたのが長谷部茂利だった。
年代別の日本代表にも選ばれ、その後が期待された長谷部だったが、A代表のキャップを手にすることなく現役を終えた。指導者に転じてからは、千葉、水戸、福岡で指揮を執ったものの、全国的な脚光を浴びることはあまりなかったと言っていい。
それだけに、鬼木監督の後釜を探していた川崎Fが後任に長谷部を選んだというのは少々意外だった。風間体制以降、川崎Fは攻撃サッカーを標榜し、ファンもただ勝つだけでは満足できなくなっている。一方で、長谷部に率いられた福岡は、予算を考えれば十分以上の結果を残してはいたものの、「攻撃的」という印象はあまりない。
さらにいうならば、Jの場合、上位陣の指揮官が結果を残せず、下に落ちていくケースはあっても、下から上がってくる例がほとんどなかった。マインツで脚光を浴び、ドルトムントで結果を残し、最終的にはリバプールに引き抜かれたクロップのようなステップアップはなきに等しい。
だが、川崎Fのフロントは福岡での結果以外のところも見ていたらしい。
11日、敵地・韓国でのACLEを戦った川崎Fは、過去多くのJチームが苦杯を喫してきた浦項に4-0の勝利を収めた。内容とスコアに乖離のない、胸のすくような快勝だった。
この試合を観戦した川崎Fファンの多くは、自分たちが見たかった川崎Fを見た気分だったのではないか。敵地であるにもかかわらず、彼らは徹底して攻撃的だった。どんな試合でも複数得点を狙うという近年の哲学は、しっかりと受け継がれていた。
思えば、福岡時代の長谷部監督は、限られた駒で結果を残さなければならない立場だった。そこで結果を出し続けてきた指揮官が、ついに手にした豊富な駒。やりたくてもやれなかったことが、ようやくやれるようになった、と言えるかもしれない。
選手に比べると指導者のステップアップが難しかったJにとって、長谷部監督の挑戦は、町田の黒田監督同様、けもの道が舗装道路に変わるきっかけにもなりうる。個人的には、今季の再注目ポイントである。
<この原稿は25年2月13日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>