重圧かかる状況こそユース世代の一番の宝
辛口評論で知られる我が日系ブラジル人の師匠だが、実は、「絶対に批判はしない」と決めている対象がある。それは、高校生。あるいは、アマチュア。
「アマチュアはね、自分の楽しみなの。プロは仕事。楽しみでやってる選手をプロの目線で評価したらダメでしょ」
なので、わたしの知る限り、セルジオ越後さんが高校生のプレーを否定したことは一度もない。せいぜい、サポーターで膝をグルグル巻きにしてプレーする選手が激増した時代に、「そこまでプレーしてほしくない」と言ったことぐらい。批判というよりは苦言だった。
ただ、まだ若かったわたしには、師匠の苦言に納得しきれない部分もあった。Jリーグ発足以前の日本サッカー界において、高校サッカーは国内最大のビッグイベントだった。日本代表の試合や天皇杯決勝に2万人入らないことがザラだった国立も、高校サッカーの決勝となれば満員の観衆で埋まった。選手の側からすれば、人生最初で最後の大舞台。そのためには多少のケガには目をつぶってでも……という気持ちもよくわかったからだ。
まだW杯本大会など夢のまた夢でしかなかったそんな時代、ファンにとってユース年代の国際大会はいまよりもはるかに大きな意味を持っていた。そこでの結果が、明るい未来に直結していると信じていた。
だが、高校サッカーの元スターたちを擁した日本ユース代表は、自国開催だった79年大会に出場して以降、実に7大会連続で予選突破に失敗した。未来など、どこにも見えなかった。
流れを変えたのは、もちろん、93年のJリーグ発足だった。久々の本大会出場となった95年のカタール大会で1次リーグ突破を果たすと、小野伸二らを擁した99年ナイジェリア大会では、決勝進出という空前絶後の快挙をやってのける。わたしを含め、多くの人が未来の見えなかった数年前を忘れた。
その後、A代表はW杯本大会の常連となり、いまやベスト8以上を狙う、いや、狙わなければという機運が高まってきている。若年層の底上げが、日本サッカーを押し上げる一因となったのは間違いない。
ただ、ユース年代における国際大会での結果は、かつて考えていたほどには重要ではなかったようだ。
09年のエジプト大会、U-20日本代表は本大会出場を逃している。11年コロンビア大会も、13年のトルコ大会も、15年ニュージーランド大会も逃している。では、まる7年もユース年代がアジアの壁を突破できなかった日本サッカーは、衰退の一途をたどったのか。
そんなことは、なかった。
プロであれ、アマチュアであれ、試合に臨む以上は全力で勝利を目指すのは当然のこと。しかし、そこでの結果は、好結果であろうが、本人たちが感じるほどには未来に直結していない。小野たちはW杯本大会の決勝に進めなかった。ユース年代がアジアで勝てない時期も、A代表はきっちりと本大会に駒を進め続けた。
中国・深圳で行なわれているU-20アジア杯で日本が思いの外苦しんでいる。きょう20日に行なわれる韓国戦の結果いかんでは久々の1次リーグ敗退もありうる状況だ。
選手たちにとっては相当重圧のかかる状況だろうが、実は、そうした状況を体験できること自体が、一番の宝ではないかとわたしは思う。余計な心配は不要。選手たちは持てる力のすべてを相手に叩きつけてほしい。
<この原稿は25年2月21日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>