今月3日、海の向こうから残念なニュースが届きました。5月17日に右ヒジの張りを訴えて故障者リスト入りした松坂大輔投手(レッドソックス)が、腱移植手術を受けることが正式に発表されたのです。今季はもう彼のピッチングを見られないというのは、本当に残念でなりません。このニュースを聞いた時、私は「悪い予感が当たってしまった」と思いました。実は、シーズン始めに松坂投手のピッチングを見た時、「大きなケガをしなければいいけど……」と一抹の不安を覚えていたのです。というのも、下半身が使えておらず、体幹のバランスが崩れているように見えたからです。
 では、松坂投手がヒジの靭帯を損傷した原因は何なのでしょうか。憶測ではいろいろと言われていますが、正直言って、はっきりしたことはわかりません。長い間、チームのエースとして投げ続けてきた彼ですから、勤続疲労はあると思います。とはいえ、特別に体に負担がかかるような投げ方をしているわけではありませんから、それが全ての原因とは言い切れないのです。西武時代から股関節やヒザを痛めていましたから、もしかしたらそのことでヒジに負担がかかっていたのかもしれません。いずれにせよ、明確な答えはわからないのです。

 ただ一つ気になっていたことは、メジャーのマウンドの硬さへの対策についてです。日本よりもメジャーのマウンドが硬いということは有名ですね。硬いからこそ、股関節など下半身の粘りや柔軟性が大事になってくるわけですが、松坂投手はどうも上半身に強さを求めたのではないかと思うのです。骨格が太く、筋肉隆々の外国人選手はそれでいいのかもしれません。しかし、日本人は子どもの頃から体全体を使った投げ方をしてきています。特に下半身の重要性はプロでもよく言われていることです。前述したように、松坂投手が体幹のバランスを崩していたのは、もしかしたら鍛える方向性が少しずれていたこともあげられるのかもしれません。

 さて、腱移植手術ですが、実は私自身も近鉄時代に同じ手術を受けています。体の他の正常な腱をヒジに移植する、通称“トミー・ジョン手術”と言われているものです。当時、ボールを投げるとしびれと痛みがひどく、ほとんど力が入らない状態だった私は、97年オフに渡米し、フランク・ジョーブ博士の診察を受けたところ、靭帯が損傷していたことがわかりました。その頃にはだいぶスピードも落ちていましたし、手術をしない限りは現役生活を続けられないことはわかっていましたので、手術するということに迷いは一切ありませんでした。

 とはいえ、手術前日はやはり不安でした。幸い、通訳を引き受けてくれた知人が部屋にいてくれていたので幾分かはまぎれましたが、それでも不安な気持ちを消すことはできませんでした。そんな時、たまたま見ていたテレビ番組でアメフトのスター選手であるジェリー・ライスの特集をやっていました。彼はその年の開幕戦で左ヒザの靭帯を2カ所も損傷しながら、手術後の約3カ月後には復帰したのです(その復帰戦で左ヒザを亀裂骨折し、再び手術を受けています)。その復帰戦を前にインタビューが放映されていたのです。

 そこで司会者が「彼がまた同じ部分をケガすれば、選手生命は終わりなのでは?」という質問をしたところ、手術を執刀したルイス・ヨーカム医師(今回、松坂投手の手術を執刀した医師)がこう言いました。「いいえ、大丈夫です。また私が治しますから」。この言葉を聞いて、目の前がパーッと明るくなりました。「よし、オレも大丈夫だ」。そんな安心感と自信をもって、翌日の手術に臨むことができたのです。

 手術の翌日には退院をし、長いリハビリが始まりました。私自身は最初から復帰までには時間がかかるということがわかっていましたので、焦りの気持ちはありませんでした。焦って、再びケガをしてしまってはもったいないですからね。とにかく、慎重にじっくりと一から土台づくりをやっていこうと思っていました。

 とはいえ、やはり辛い時期もありました。徐々に回復してきていることがわかる時はいいのですが、いくらやっても平衡状態の時が繰り返しやってきます。自分ではもっと上にいきたいのに、なかなかその先にいくことができない。例えば、ようやくキャッチボールができるようになって、もっと投げ込みたくても、そこは慎重に段階を踏まなければならない。もう投げたいという自分の気持ちを抑えるのに必死でした。

 それと、手術した部分はもう痛みはありませんでしたが、縫ったところにかさぶたができて、とれたりする。そこが少しチクチクすると、「これ以上投げたら、また痛みが出てくるかもしれない……」と考えてしまったりしました。10カ月ほど経って、本格的に投げられるようになっても、まだ「大丈夫かな? 再発しないかな?」と半信半疑でした。とにかく、ちょっとしたことで不安になったりしていましたね。

 松坂投手もこれからいろいろと辛いことも出てくるでしょう。しかし、彼なら今回の手術をプラスにして、それこそトミー・ジョンのように復帰後は新たな“松坂伝説”をつくってくれると私は信じています。そのためにも、まずは自分の体のことをよく知ることが重要です。今回、なぜヒジに負担がかかってしまったのか。原因を究明し、今後につなげていってほしいですね。長いリハビリ期間は、そのチャンスでもあるわけです。復帰は来年の球宴前後と言われています。今後の経過を見守りながら、その日を心待ちにしたいと思います。


佐野 慈紀(さの・しげき) プロフィール
1968年4月30日、愛媛県出身。松山商−近大呉工学部を経て90年、ドラフト3位で近鉄に入団。その後、中日−エルマイラ・パイオニアーズ(米独立)−ロサンジェルス・ドジャース−メキシコシティ(メキシカンリーグ)−エルマイラ・パイオニアーズ−オリックス・ブルーウェーブと、現役13年間で6球団を渡り歩いた。主にセットアッパーとして活躍、通算353試合に登板、41勝31敗21S、防御率3.80。現在は野球解説者。
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