故郷のクラブでルーキーイヤーの開幕戦にデビュー。順調なプロの第一歩を踏み出した越智だったが、その後はなかなか出番に恵まれなかった。
「フィジカル面も足りなくて、思うようなプレーができなかった。自分に対してイライラしながらサッカーをしていた。余裕がないので、周りも見えなくて余計に悪い方向に行っていましたね」
 そんな9月、望月一仁前監督が解任され、バルバリッチ監督がクロアチアからやってきた。新しい指揮官に自分をアピールして試合に出たい。その気持ちが思いきった行動になって出た。
「紅白戦にちょっとでもいいので出させてほしい」
 青野慎也コーチを通じて、監督に直訴したのだ。その熱意が監督、コーチ陣を動かした。わずかな時間だが出場機会が与えられたのである。

 千載一遇のチャンスで、越智は自分の持ち味を存分に発揮する。豊富な運動量でピッチを駆け回り、積極的に前から相手のボールを奪いに行った。
「その頃にはだいぶプロのレベルにも慣れて、自分の思うようなプレーができていた。その手ごたえがあったから、“(紅白戦に)出してほしい”と言えたのだと思います」
 アピールは大成功だった。以後、バルバリッチ監督は地元出身のルーキーを試合のメンバーに加えるようになる。背番号19にとって、それは大きな転機だった。

 この4月に21歳になったばかり。当然、ロンドン五輪の最終予選に臨むU-22日本代表入りは最大の目標だ。特に越智には、その思いを刺激するひとりの選手がいる。U-22代表の攻撃的MF東慶悟(大宮アルディージャ)だ。先に行われたクウェートとの五輪2次予選でもチャンスを演出し、1アシストを記録した。彼とは大分トリニータユースでチームメイトだった。
「すごく仲も良くて、連絡もよくとっています。活躍しているので負けないように、と思っています。僕にとっては身近なライバルです。向こうはそう思っていないでしょうが(笑)」

 愛媛は今季、シーズン途中から4−5−1のシステムに変更して勝ち点を重ね、一時は昇格圏内の3位に浮上した。好調なチームとは裏腹に、新システムではボランチがひとりになった関係で、越智はスタメンを外れているのが現状だ。
「まだまだミスが多い、ということでしょう。ワンプレー、ワンプレーを大事にしないとスタメンでは出られない。自分の課題と向き合う機会だと考えています」
 バルバリッチ監督も「無意味にボールを失う。集中して周囲の確認をしてほしい」とさらなるレベルアップを望んでいる。

 プレーの精度を高める努力はもちろん、プレーの幅を広げることも必要だ。震災に伴うリーグ戦中断期間中には、プレイスキックの練習にも取り組んだ。
「秀さん(赤井秀一)がケガをしてキッカーがいなくなったのがきっかけだったんですけど、(キーパーの)萩さん(萩原達郎)からも“練習したら絶対うまくなるから続けろ”と言われました。大分ユースの時も東が蹴っていたから、今まであまり練習はしていなかったんです」
 中断期間中に行われたチャリティーマッチではフリーキックであわや直接ゴールという好機もつくった。高みを目指すには武器はいくつあってもいい。プレイスキックの練習は今も継続して行っている。

 日本代表DFとしてアジアカップの優勝メンバーにもなった森脇良太(サンフレッチェ広島)は、4年前まで、ここ愛媛でボールを蹴っていた。
「ああいう選手も見ていると、自分も何年後かに代表の舞台に立ちたいなとの思いが沸いてきますね」
 越智という姓は出身の今治ではよく見られる苗字だ。各界で活躍している「越智」は少なくない。音楽界の越智といえば、越智志帆(Superfly)、野球界の越智大祐(巨人)。そしてサッカー界では……。そこに越智亮介の名前を入れるべく、今日も若きMFはボールを蹴り続けている。

(おわり)

<越智亮介(おち・りょうすけ)プロフィール>
1990年4月7日、愛媛県出身。ポジションはMF。6歳からサッカーをはじめ、将来有望な選手として愛媛県トレセン、四国トレセンにも選ばれる。明徳義塾中から今治日吉中を経て、高校時代は大分トリニータユースへ。ボランチとして頭角を現し、09年、愛媛に加入。豊富な運動量と攻撃の起点となるパスが持ち味。昨季はシーズン途中から副キャプテンに任命され、31試合に出場。第4節の鳥栖戦でプロ初ゴールも決めるなど、将来のクラブを背負う選手として期待が高い。身長169cm、62kg。



(石田洋之)
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