どうか、なでしこが決勝進出を果たしていますように! ニュースやらワイドショーやらが大変な騒ぎになっていますように! 祈るような気持ちでパソコンに向かっている。
 それにしても、ドイツで開催されるW杯は、なぜこんなにも印象深いものになるのだろう。74年はクライフのトータル・フットボールによってサッカーの概念が変わった大会として記憶されている。記憶に新しい06年大会は、訪れた観客に試合以外の時間をいかに楽しんでもらうかという点に意識と資金が注がれた、史上初めての大会だった。
 そして今回の女子W杯。素晴らしいスタジアムと目の肥えた観客の存在によって、女子W杯という大会のステータスと娯楽性は劇的なまでに向上した。女子のサッカーになど見向きもしなかった国も、今後は大会の自国開催を真剣に考えるようになるだろう。

 さて、W杯はおろか、五輪にすら出場できなかった男子サッカーが国際競争力を高めたのは、言うまでもなく、Jリーグ発足によるところが大きい。ガラガラの、そしてデコボコのグラウンドでプレーしていた選手たちの日常は、93年を境に激変した。サッカーは人気スポーツとしての地位を完全に確立し、Jリーガー、日本代表という立場は、少年たちが憧れる未来像の一つにもなった。
 環境という“ハード”が変わったことで、選手という“ソフト”が成長した。それが日本の男子サッカー(まさかこんな表現を使う日が来ようとは)だったのである。
 
 だが、男子サッカーに起こったほどの劇的な環境の変化は、女子サッカーには起こらなかった。日本サッカー協会のサポートによって、数人の選手は海外への移籍を果たし、よりよい環境を手にすることができたが、日本全体を見渡すと、環境はむしろ悪化しているというのが現状だった。
 にもかかわらず、なでしこは変わった。軸となる選手が海外で経験を積み、かつ選手たちが目指すべき方向性を共有したことで、世界と戦えるチームに成長した。しかも、彼女たちはただ勝ち進んだだけではない。ペレやジーコのブラジル、クライフのオランダなど、男子サッカーの世界では結果を超えて愛されたチームがいくつか出現しているが、今回のなでしこは、日本にとってはもちろんのこと、世界的に見ても初めて出現した“愛される女子チーム”として記憶されることになる可能性がある。

 東京五輪における“東洋の魔女”の成功は、同じ競技をプレーする男子にも、世界と戦う勇気を与えたことだろう。同じことが、これからの男子サッカーにも起こりうる。たとえ決勝進出を逃そうとも、今回のなでしこは、それほどまでに伝説的なチームである。

<この原稿は11年7月14日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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