男子のW杯はなぜ世界を熱狂させるのか。W杯だから、ではない。大会初期は、熱狂どころか、参加することに意義を見いだせない国が圧倒的だった。少数の国によって争われる関心の低い大会――それが20世紀初頭のW杯だった。
 では、なにがW杯を世界最大のスポーツイベントと呼ばれるまでに成長させたのか。
 名勝負の積み重ね、である。
 70年大会。イタリアと西ドイツの死闘。82年大会。トニーニョ・セレーゾの涙とロッシの歓喜。86年大会。ジーコ対プラティニ。伝説の消耗戦……当事者はもちろんのこと、中立の立場で観戦した人たちをも熱狂させた数多の名勝負が、W杯の中毒性を高めていった。

 だが、大会の中で最も注目を集める試合、つまり決勝戦となると、不思議なぐらい名勝負がない。重圧の大きさが選手たちの自由な発想を封じ込めてしまうのか、それともそこに辿り着くまでの道のりで消耗しきってしまうからなのか――。
 だから、なでしこがアメリカと戦ったあの一戦は、W杯史上最高の決勝戦だった、と私は思う。
 破壊的な強さを見せつけたチャンピオンと、幾度となく叩きつぶされそうになりながらも驚異的な粘りで立ち向かった挑戦者の死闘。間違いなく伝説的な決勝戦として記憶されるであろう日米決戦によって、今後、女子W杯を心待ちにする人の数は、日米両国はもちろんのこと、世界的に見ても爆発的に増えたはずである。

 もはや、女子のW杯は男子W杯の矮小なコピーではない。女子のW杯には、女子のW杯にしかない魅力がある。彼女たちは、薄汚いシミュレーションをしたりしない。見苦しい抗議に時間を費やしたりもしない。退場を宣告された岩清水がクドクドと主審に抗議を続けていたら、試合の余韻はずいぶん違ったものになっていたのではないか。

 ゴール前の攻防が多いのも女子W杯の特徴だった。決勝戦でのアメリカは30本近いシュートを日本に浴びせた。男子の場合、これだけの攻撃力を見せられると、もう一方のチームは守備一辺倒になってしまうのだが、女子の場合、なでしこに限らず劣勢を強いられる側も負けじとチャンスを作る傾向があった。痛み、苦しみに耐えて反発する能力は、男子とはいささか次元が違うらしい。

 多くの日本人にとって、今回のなでしこの世界一は震災と結びつけられて記憶されることになろう。あまりにも多くの犠牲と、それでも立ち上がろうとする精神が、なでしこに見えざる力を与えたのも間違いない。だが、たとえ日本以外の国々で震災の記憶が薄れようとも、彼女たちは女子W杯を変えた存在として記憶されることになる。それも、世界中の人々に。こんな日本人は、かつてなかった。

<この原稿は11年7月21日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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