中国サッカーファンの嘆きで感じた日本の成長

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「ヨソの子とゴーヤーは育つのが早い」とは博多華丸・大吉さんがネタの中によくはさむ決まり文句のひとつだが、確かに、他人の子供の成長具合は自分の子供よりも見えやすいしわかりやすい。ただ、ヨソの子を見て、自分の子供の成長を改めて実感することもある。というか、最近、あった。

 

 オーストラリアの優勝で幕を閉じたU-20アジア杯。日本、サウジ、韓国が同W杯への切符を獲得した一方で、地元開催かつ、“黄金世代”と自賛していた中国はベスト8で散った。ネット上には国家代表の足球(サッカー)、いわゆる“国足”を愛する人たちの嘆きが溢れた。それこそ、W杯予選におけるA代表への反応に負けないぐらいの熱量で溢れた。

 

 昔は日本……というか、わたしもそうだった。

 

 いまならばわかる。若年層の育成は極めて大切なものではあるものの、そこでの結果は、育成そのものほどには大切ではない。日本に限らず、年代別代表で眩い輝きを放ちながら、その後消えていった選手は数多いる。

 

 だが、まだ海のものとも山のものともしれない才能のタマゴに、わたしは過大な期待をかけてしまった。「天才」という言葉を使ったこともある。先日引退した柿谷曜一朗が「天才と呼ばれるのはいやだった」と振り返っていたが、わたしは、彼の「いや」なことをやり続けてしまった人間の一人である。

 

 思い出すのは、Jリーグ初年度、担当していたG大阪が初めて鹿島と対戦したときのことである。試合後、わたしはジーコに聞いた。

 

「磯貝(洋光)についてどう思いますか」

 

 印象に残るような言葉は返って来なかった。ただ、穏やかだったジーコの表情に明らかな嫌悪感が走ったことはよく覚えている。ぶつけられた質問に対する嫌悪感だということは、愚かな質問者にもすぐわかった。

 

 いまならばわかる。きっと、ジーコはうんざりするぐらい似たようなことを聞かれてきたのだ。ちょっと才気のある、かといってどうなるかはまったくわからない若者の未来について。そして、まだ結果を出す以前に待ち上げられすぎた若者が、必ずしも幸せなサッカー人生を歩むとは限らないことを知っていたのだ。

 

 いまにして思えば、わたしは彼の目に「才能の成長を妨げる者」として映っていたかもしれない。だとしたら、当然の嫌悪感だった。

 

 ただ、わたしはともかく、日本のメディア、ファンは確実に成熟しつつある。

 

 先週末、FC東京は15歳の北原槙を交代出場させた。Jリーグ史上最年少の出場記録だという。04年、東京Vの森本貴幸によって作られた記録が、21年ぶりに更新された。

 

 もっとも、かなり貴重な記録だったにもかかわらず、メディアやファンの反応はいまひとつだった。少なくとも、森本が出現した際の騒ぎに比べると、ずいぶんと抑制が利いていた。

 

 実は北原が出場したときと同じ日、神戸では17歳の浜崎健斗が初先発を果たしていたのだが、こちらも極めて控えめな反応しか見られなかった。

 

 つまり、25年の日本は、ファンもメディアも、若い才能がデビューしただけでは舞い上がらない国になっている。個人的には神戸の浜崎、特別な左足を持っていると感じたが、一昔前の才能より、伸び伸びとやってくれそうな気がする。

 

 ヨソの子とゴーヤーほどには成長が感じられないかもしれないが、日本のサッカーは確実に成長している。ヨソの子が、教えてくれた。

 

<この原稿は25年3月6日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>

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