乾坤一擲とは、こういうことを言うのだろう。1−2で迎えた延長後半12分だ。キャプテンマークを付けた澤穂希が宮間あやの左コーナーキックに飛び込んだ。ニアサイドの死角。右足のアウトに引っかけた。ボールはゴール前にいたアビー・ワンバックをかすめ、ゴールネットを揺らした。値千金の同点ゴール。その瞬間、隣近所から一斉に拍手が巻き起こった。時刻は朝の6時過ぎ。皆、息を潜めて、この瞬間を待っていたのだ。
 父から聞いた「フジヤマのトビウオ」の伝説を思い出した。敗戦国ニッポン。1949年8月、国際水連に復帰したばかりの日本水連は古橋廣之進らを代表選手として全米選手権に送り込む。そこで古橋が樹立した4つの世界新記録(リレー含む)。打ちひしがれた日本人に、どれだけの勇気と希望を与えたことか。震災後の今だけに、察すれば察するほど胸にズシンと響く。

 ワールドカップを制した「なでしこジャパン」の快挙は60年以上も前のトビウオ伝説を彷彿とさせるものだった。政府は内閣総理大臣顕彰授与の検討に入っているというが、10%程度の支持率しかない総理大臣からの贈呈は、むしろ非礼にあたりはしまいか。国民が得た感動の量、質を考えれば、ふさわしいのは「国民栄誉賞」である。

 快挙の2日前、東京都が正式に20年夏季五輪への立候補を表明した。コンセプトは「震災からの復興」。既にJOCの竹田恒和会長は「サッカー競技などの東北開催」を私案として公表している。
 招致活動には「顔」がいる。18年冬季五輪の開催が決定した韓国・平昌にはバンクーバー五輪女子フィギュアスケートで金メダルを獲ったキム・ヨナがいた。開催地を決めるIOC総会での彼女の演説は際立っていた。
「10年前、平昌が冬季五輪の開催に名乗りをあげた当時、私はソウルのスケートリンクで五輪に出場することを夢見て練習に励む少女だった」(朝鮮日報<日本語版>7月7日付より)

 やっと東京にも招致活動の「顔」ができた。言うまでもなく、なでしこたちだ。身を挺して敵を止めたDF岩清水梓は岩手県出身。招致のコンセプトにも合致する。投票権を持つIOC委員の約4割は欧州勢。サッカーには愛着がある。私見だが“なでしこ外交”は招致の強力な切り札となるだろう。

<この原稿は11年7月20日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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