第278回 「“コーキ”とは以心伝心」 ~ホルヘ・ヒラノVol.13~
ここで、ホルヘ・ヒラノのステップボードとなった「83年シーズン」を別の視座から眺めてみよう。
ヒラノのサッカー人生を語る上で欠かせないのが、彼をスポルティング・クリスタルへと導いたペドリット・ルイスだ。彼の経歴については、連載275回で簡単に触れた。
改めて彼本人の口から、その詳細を聞こう。
「ぼくが生まれたのは、リマ近郊のウワラル。コーキ(ヒラノの愛称)と同じだ。ウワラルは農村地帯で、穴ぼこのグラウンドしかなかった。サッカーはストリートで始めた。最初は裸足で手作りのボールを蹴っていた。ボールはもちろん、靴を買うお金がなかったんだ」
弾みの悪いボールを素足で扱っていたことが、彼の感覚を研ぎ澄ませることになった。後に、靴を履いてプレーすることに慣れなければならなかったのだと、くすりと笑った。
「16才のとき、運良くオスカル・ベッケマイヤーというクラブと契約することができた。オスカル・ベッケマイヤーはウワラルにある(プロリーグの下、アマチュアリーグの)コパ・ペルーに出場していたクラブだった。その後、デフェンソール・リマに移籍した。73年、(地元のウニオン・)ウワラルが1部に昇格したので、帰ることにしたんだ。当時、リマ(市内)と地方のクラブの差は大きかった。誰もウワラルがリマのクラブと対等に戦えるとは思っていなかった。ところが、ぼくたちは74年に準優勝した」
ペドリット・ルイスは長短のパスを織り交ぜて味方に繋ぐ、“10番”の選手だった。ただ、彼は“9番”を好んでつけていた。そのため、ウワラルではセンターフォワードの選手であっても、9番をつけることは許されなかった。
観客を足技で魅了
そんなペドリット・ルイスは75年のコパ・アメリカに出場するペルー代表に選ばれている。
昨年12月、アメリカのマイアミで行われたFIFAクラブワールドカップ抽選会のプレゼンターとして登場したテオフィロ・クビージャス、FCバルセロナでヨハン・クライフと共にプレーしたウーゴ・ソティルたちを擁するペルー代表は決勝でコロンビア代表を破り、優勝した。
翌76年、ウニオン・ウワラルは一部リーグで初優勝を成し遂げた。リマ市内以外のクラブの優勝は史上初めてだった。
この年、76年にリベルタドーレス杯に出場し、対戦したアルゼンチンの名門クラブ、リバープレート、そしてウルグアイのペニャロールから契約を持ちかけられたという。ただし、彼は飛行機が大の苦手だった。そして生まれ故郷であるウワラルへの愛情があった。そのため、移籍という選択をとらなかった。
「ぼくにとってサッカーは遊びの延長だった」
1番の喜びは、ウニオン・ウワラルが負けた後でさえ、「君のプレーでチケット代分は楽しませてもらった」と言われることだった。観客を足技で魅了するファンタジスタだったのだ。
本来ならば彼はウワラルに居続けるはずだった。しかし――。
「シーズン中にスポンサーが離れたこともあって、給料の未払いが6カ月ほど続いた。そのとき、ぼくは家族がいたので、移籍先を探すことにした」
ウワラル出身の2人が原動力
ペドリット・ルイスに目をつけたのはスポルティング・クリスタルだった。
「リマに行き(クリスタルの)会長と話をして契約の詳細を決めた。ウワラルに戻ると、クラブの状況がさらに悪化していた。自分の生まれ育った街のクラブがこんなにひどい状況になることに我慢できなかった。そこでクリスタルとの契約を破棄して、ウワラルに残ることにした」
しかし、スポルティング・クリスタルは彼の獲得を諦めることはなかった。
82年シーズンの終盤、リマの国立競技場で試合をした際、スポルティング・クリスタルの会長と顔を合わせた。気がつかないふりをして通り過ぎようとすると、呼び止められた。そして、「来年はうちでプレーしてもらうよ」と言われたのだ。
「この頃、コーキがウニオン・ウワラルでいいプレーしていた。そこで彼と一緒にスポルティング・クリスタルに行くことにしたんだ」
この連載で触れたように83年シーズン前、“7番目”のフォワードだったヒラノは、短い出場時間で結果を残し、主力となった。ヒラノにとって自分の動き方を熟知したペドリット・ルイスは大きな助けとなったことだろう。
「コーキとは以心伝心で、お互いに何をやりたいのか理解することができた」
中盤のペドリット・ルイスから俊足のヒラノに鋭いパスが何度も出た。ヒラノはそのままシュート、あるいはもう一人のフォワード、ファン・カバジェロにボールを渡す――。
ウワラル出身の2人が83年シーズン優勝の原動力となったのだ。
(つづく)
田崎健太(たざき・けんた)
1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。
著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。最新刊は、「横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか」(カンゼン)
代表を務める(株)カニジルは、鳥取大学医学部附属病院一階でカニジルブックストアを運営。とりだい病院広報誌「カニジル」、千船病院広報誌「虹くじら」、近畿大学附属病院がんセンター広報誌「梅☆」編集長。