低い姿勢から大きなストライドでグングン加速し、先頭で風を切る。金丸祐三は今、日本で最も速く400メートルを走る男である。高校3年時に日本選手権を制し、今年で7連覇を達成した。この9月で24歳。スプリンターとしては、ここから脂がのってくる時期である。
 8月27日から韓国・大邱で開催される世界陸上にも日本代表として出場する。金丸にとっては4度目の世界陸上だ。しかし、過去2大会はいずれもケガに泣いた。4年前の法政大2年時に参加した大阪大会。大阪府高槻市出身の金丸には大きな期待が寄せられた。しかし、気負いすぎて必要以上に力が入ったせいか、スタート直後に左太ももを痛めてしまう。肉離れで途中棄権。本人曰く「何が起こったのかわからない」状態でタンカでトラックから運び出された。

 そして2年前のベルリン大会。直前の代表合宿最終日、ラスト1本で練習を締めくくろうと加速した瞬間、再び前触れもなく左太ももに痛みが走った。
「ケガには細心の注意を払っていたのにやってしまった。落ち込みましたね」
 何とか本番には間に合わせたものの、タイムは、その年にマークした自己ベスト(45秒16)に程遠い46秒83。予選敗退を喫した。

 記録が出そうな大邱のトラック

 そんな2大会分の悔しさを背負って臨む今回の大会である。戦いの舞台となる大邱スタジアムでは、この5月に走っている。世界陸上のリハーサルを兼ねた大邱国際選手権。400mには北京五輪銅メダリストのデヴィット・ネビルらがエントリーしていた。強豪たちを相手に大外の8レーンからスタートした金丸はスピードに乗り、序盤のレースを牽引する。しかし、第3コーナーを過ぎた時点でネヴィルらに次々抜かれ、300m地点では4位に後退した。
「300mではトップに立っておきたかった。少し失敗したかなと思いました」
 だからと言って、このまま引き下がるわけにはいかない。最後の力を振り絞ってラスト100mを走りきった。電光掲示板には速報値でトップのタイムが45秒23と表示された。

「(世界陸上、五輪出場に必要な)A標準が45秒25なので、45秒26だけはやめてくれと思いながら電光掲示板を見ていました」
 その直後、金丸は意外な数字を目にする。1着を示すレーンナンバーが自らが走った「8」だったのだ。
「あれ? オレ、勝ったの?」
 ラスト100m、金丸の渾身の走りは前を走る2選手をかわし、さらに北京五輪の銅メダリストすら差し切っていた。つまり、45秒23は自らが叩きだしたタイム。目標としていたA標準突破に優勝で花を添えた。

「走った感触は良かったですね。もっと記録が出そうな感じがしました」
 世界陸上での目標は400mで日本人史上2人目のファイナリストになること。これまで同種目で決勝に進んだのは91年東京大会で7位入賞を果たした高野進(現・日本陸連強化委員長)ただひとりである。その高野が持つ日本記録44秒78は20年経った今も破られていない。

「高野さんの記録を抜くポテンシャルはある」

 現実問題としてファイナリストの仲間入りを果たすには5月に記録した45秒23では厳しい。400mの世界記録は99年のセビリア世界陸上でマイケル・ジョンソンが出した43秒18。これは別格としても、世界のトップは44秒台で勝負するのが当たり前になっている。
「過去の大会のケースを見ると、予選は45秒5くらいが通過ラインになっています。これは調子さえ良ければ充分可能なタイムです。でも、そこから決勝に出るためには44秒台は最低条件。44秒8でも運悪く他の選手が速ければ準決勝で落ちますから」

 金丸が夢見る決勝の舞台にコマを進めた時、それはおそらく偉大な日本記録を更新する時にもなるはずだ。逆に言えば、金丸が日本記録を20年ぶりに塗り替えた時、まさに20年ぶりの日本人400mファイナリストが誕生する可能性は大いに高まる。
「一番いいのは順位と記録が両方ついてくることだと思いますね。120%の力が出せれば、おそらく順位と記録、両方ともついてくるでしょう」
 
 大邱国際選手権では自分が思い描いていた走りが95%はできた。残り5%、いや、それ以上の上積みをしてスタートラインに立つつもりだ。
「自分で言うのも何ですが、高野さんの記録を抜くポテンシャルは持っていると思います。要はそれを発揮できるかできないかですね」
 世界陸上の400mは28日から始まる。その歴史に新たな1ページを書き加える日が近づいている。

(第2回へつづく)

金丸祐三(かねまる・ゆうぞう)プロフィール>
1987年9月18日、大阪府生まれ。マイケル・ジョンソン(米国)に憧れて中学から陸上を始め、大阪高2年時のインターハイで初優勝。その年の国体400mでは45秒89で走り、為末大が持っていた日本高校記録を8年ぶりに塗り替える(以後、2度更新)。高3時の05年には日本選手権で優勝。同年の世界陸上ヘルシンキ大会に1600メートルリレーで初出場を果たす。以後、世界陸上は4大会連続で代表入り。08年には北京五輪にも出場。09年5月の大阪グランプリでは日本歴代4位、自己ベストとなる45秒16で2位に入る。今季は5月の大邱国際選手権で優勝。6月の日本選手権では男子短距離では初の7連覇を達成した。法政大を卒業した10年より大塚製薬工場に所属。身長177センチ、体重77キロ。







(石田洋之)
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