小さい頃から足の速い子どもだった。
 大阪府高槻市に生まれた金丸は、元気いっぱいの幼少時代を過ごした。とにかく外で遊ぶのが大好きで、近くの田んぼで足を泥だらけにして炎症を起こしたこともあるほどだ。小学校ではその俊足を生かし、3年生からサッカーを始めた。
「でも足が速いだけで、ボールを蹴るのがヘタクソだったんです。せっかくゴール前まで行ってもシュートを外しちゃうんで(笑)」
 そんな時、金丸はその後の人生を左右する出会いを果たす。ふと見たテレビでピンと胸を張り、トラックを疾走する黒人のスプリンターに目を奪われた。
「独特なフォームと驚異的な速さに惹かれましたね」
 その男はマイケル・ジョンソン(米国)。言わずと知れた90年代の陸上界を驚かせたスーパースターだ。世界陸上ではカール・ルイス(米国)を抜く9個の金メダルを獲得。99年のセルビア大会の400mで樹立した43秒18は未だに世界記録である。

「コイツ、かっこいい」
 超人的な走りで他をよせつけない姿に憧れた。中学生になると金丸は陸上部に入部する。小学校時代は運動会などで、ほぼ1等賞だったとはいえ、本格的に陸上に取り組んだのは初めて。1、2年生の頃は特に目立った成績を残せなかった。しかし、3年生になると素質が芽を出し始め、200mで全国大会に出場する。

 400mへの転向は偶然

 複数の高校から誘いを受ける中で、金丸が選んだのは大阪高だ。全国的にも有名な陸上の強豪校で、特にリレーでは何度も優勝を収めている。
「1カ月くらい練習をみていて、これはスゴイ選手になると感じました。1年生の6月の段階では、間違いなくJAPANの選手になれると思いましたね」
 そう印象を語るのは同校陸上部監督の岡本博である。

 岡本が何より驚いたのは金丸の足の振り出しが非常に大きいことだった。
「振り出しが大きい分、前で着地ができるので推進力が生まれます。とはいえ普通の選手は、着地が前過ぎるとハムストリングで体を支えきれないし、腹筋で上体を保てず、後ろに傾いてしまう。走りにブレーキがかかるので、一般的に振り出しが大きすぎるのはダメだと言われてしまうものです。しかし、金丸の場合は大きく振り出した足をガッと地面にひっかけて、しっかり前に進める。こんな走り方ができる選手は滅多にいません。だからフォームに関しては全くいじらないようにしていました」
 取り組んだのは天性のフォームをより生かすためのトレーニングだ。ハムストリングや体幹をしっかり鍛え、100m、200mでスプリント能力を磨いた。1年生の時に出場した国体では少年B200mを大会新記録で制した。

 400mに転向したのは偶然だった。2年時のインターハイのことだ。
「100m、200mでも充分、速かったのですが、ここには3年生の先輩がいるので“400mにエントリーしてくれ”と伝えたんです。そしたら勝ってしまった(笑)」
 400mの練習もほとんどしないまま出場したインターハイで、いきなり優勝。これをきっかけに400mの選手としても注目されるようになる。

 予想外の高校新樹立

 圧巻だったのはその年の10月に開かれた国体だ。金丸は高校生では為末大しかマークしたことのない45秒台で走ることを高校時代の目標に定めていた。
「45秒台の記録を持っている先輩から“45秒台を走るのは最初の200mを21秒台で入る必要がある”と聞きました。まだ2年生だし、来年45秒台で走るために、まず最初を21秒台で走ろうと思ったんです」
 最初から軽快に飛ばし、予定通り21秒台で200mを駆け抜けた。そのままの勢いで後半の200mを走り抜く。表示された記録は45秒89。目標としていた45秒台はおろか、為末が保持していた高校記録(45秒94)を塗り替えてしまったのだ。

 それからは「怖いもの知らず」の快進撃が続く。3年生になって出場した日本選手権では大学、社会人の選手を抑えて初優勝。予選では45秒69をマークし、再び高校記録を塗り替えた。インターハイでも連覇を達成し、直後の世界陸上にも1600mリレーで第1走を務めた。
「彼は100mを10秒3、200mを20秒7で走る力を持っていました。400mに関して言えば、最初の200mを21秒4で通過すればいい。だから前半をある程度のスピードで入って、200m〜300mは休憩、ラスト100mで全力を出し切るというレース展開で充分記録が出せたんです。いっぱいいっぱいで走るわけじゃないから何本やっても、いい記録が出る。これは大学に行って400mを専門でやったら、44秒台はすぐ出ると思いましたよ」
 岡本は当時の走りをそう振り返る。まさに高校陸上界の怪物。それが金丸祐三だった。

(第3回へつづく)
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金丸祐三(かねまる・ゆうぞう)プロフィール>
1987年9月18日、大阪府生まれ。マイケル・ジョンソン(米国)に憧れて中学から陸上を始め、大阪高2年時のインターハイで初優勝。その年の国体400mでは45秒89で走り、為末大が持っていた日本高校記録を8年ぶりに塗り替える(以後、2度更新)。高3時の05年には日本選手権で優勝。同年の世界陸上ヘルシンキ大会に1600メートルリレーで初出場を果たす。以後、世界陸上は4大会連続で代表入り。08年には北京五輪にも出場。09年5月の大阪グランプリでは日本歴代4位、自己ベストとなる45秒16で2位に入る。今季は5月の大邱国際選手権で優勝。6月の日本選手権では男子短距離では初の7連覇を達成した。法政大を卒業した10年より大塚製薬工場に所属。身長177センチ、体重77キロ。







(石田洋之)
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