次はサッカーで日本の魅力を世界に

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 エクアドルの方には申し訳ないが、“ガラパゴス”という言葉を使う際のわたしは、どこかに自虐を帯びていた。日本でしか通用しないもの。世界から取り残されたもの。そんな意味合いを感じながら使っていた。

 

 つまり、あまりにも日本的すぎるものを、わたしは「恥」に近い感覚で捉えていた。もちろん、中には本当に恥ずかしいレベルで遅れてしまったものもあるのだろうが、本来は含む必要のないものまで一括りにしてしまっていた。

 

 それはたぶん、個人的な経験にも基づいている。海外に行って、日本人であるがゆえに不快な思いをさせられたことはほとんどないが、日本人であるがゆえに歓迎された、という経験はまったくない。日本人だからといって侮蔑されたことはほとんどないが、日本人だからと称賛されたことは一度もない。知らず知らずのうちに、わたしは欧米に認めてもらう側、認めてもらいたがっている人間になっていた。

 

 だが、若い世代では、わたしのような人間は少数派になるのかもしれない。

 

 MLB開幕戦のために来日したメジャーリーガーとその家族、関係者たちが発信する日本についての情報は、日本はもちろんのこと、間違いなく米国国内に浸透していく。国家によっては莫大な予算をつぎ込んでも獲得しきれずにいる良好なイメージを、メジャーリーガーたちが無償で広めてくれている。日本にはどうやら独特の魅力があるらしいということを、米国人が、そしてなにより日本人が実感するようになる。

 

 たとえば、日本式の応援。東京ドームのライトスタンドに陣取った、甲子園の比較にもならないこぢんまりとした阪神ファンの応援は、米国人にちょっとした驚きを与えたようだった。それどころか、「この情熱はMLBも見習うできだ」といった声まで上がっていた。近い将来、来日ツアー日程の中には甲子園での阪神戦を組み込もうとする外国人が増えることだろう。

 

 バルセロナに留学した30年前、うんざりするほど現地の人から聞かれたのが「なぜバルセロナに?」だった。彼らは、自分たちが愛してやまない、しかし当時はまだ世界の超一流とは言い難かったクラブに、日本人が興味をもっていることを心底、不思議がっていた。いま、カンプノウで同じ質問をぶつけてくるカタルーニャがどれだけいることだろう。結果を出すこと、他国から認められることで、人は変わる。善しあしはともかく、変わる。

 

 それがスポーツの力でもある。

 

 基本的に無観客で行われた東京五輪は、それでも参加した選手や関係者が選手村の食事やコンビニの商品を発信したことで、日本の魅力が広く世界に知られるようになった。予定通りに観客を受け入れていれば、いったいどれほどの効果があったことだろうか。

 

 一方で、東京五輪開催にあたって起きたさまざまな問題によって、日本社会全体は、大規模なスポーツイベントの開催に後ろ向きになった印象もある。自分たちの生活が苦しい中、なぜスポーツに大金を、という声は当然といえば当然である。

 

 だが、今回のMLB開催に、国費はどれだけ投じられただろうか。そして、国費に頼るのではなく、国の理解を得る形での国際大会の開催は不可能だろうか。

 

 きょうからはいよいよW杯最終予選も再開される。野球が教えてくれたスポーツの、日本の魅力を、今度はサッカーで味わいたい。

 

<この原稿は25年3月20日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>

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