中田英寿と本田圭佑が蒔いた種発芽の時
たった4年前、アジア最終予選を戦っていた日本代表に向けられていた関心は、突き詰めて言えば、突破できるか否か、だけだった。
誰も、少なくともわたしは、FIFAランクのことなんて考えていなかった。本大会でポット2、あるいはポット1に入るためには勝ち続けなければならない、なんて夢にも思わなかった。おそらく、それは監督や選手も似たようなものだったのではないか。
バーレーンを倒して本大会出場を決めても、日本の選手たちは誰も緩んでいなかった。勝利を願うファンの熱量にも、ほとんど変化は見られなかった。彼らは、わたしたちは、明らかに本大会での組分けを意識して予選を戦うようになった。たった4年が過ぎただけで、日本代表は、日本人は、意識の面において史上最高の高みに駆け上がった。
もっとも、この驚愕の変化も、日本代表が挑もうとしている目標の壮大さに比べれば色を失う。
過去、W杯は8カ国の優勝国を生み出してきた。どの国もすべて、いまも100年前も、サッカーが国技だった国である。
優勝国に限った話ではない。決勝まで勝ち残った国、ベスト4に入った国についても同じことは当てはまる。いわくつきのベスト4を達成した韓国でさえ、日本統治下の「平壌京城定期船」には数万人の観衆が集まり、有力な選抜メンバーは、ほとんどプロに近い待遇が用意されていたという。
日本は、100年前もいまも、サッカーが国技だったことは一度もない国である。こんな国がW杯で優勝したことはないし、そもそも、優勝を目指そうとしたことすらなかった。米国がW杯優勝に本気になった、優勝を逃して国中が打ちひしがれた、という話を聞いたことがあるだろうか。
手前味噌をさっ引いてみても、いま日本がやろうとしていることは、世界サッカー史上、まったく例のない挑戦なのである。
見方を変えれば、極めて稀有な目標を設定したからこそ、日本人の意識は例を見ない速度と角度で高まった、ということもできる。
28年前、初のW杯出場を決めても涙一つなかった中田英寿に「なぜ泣かないのか」と聞いたことがある。答えを聞いて言葉を失った。彼は、こう言ったのだ。
「W杯で優勝したら泣くかもね」
公の場でW杯優勝を目標として掲げたのは本田圭佑だったと記憶している。失笑か嘲笑というのが主な反応だった。当時の監督だったザッケローニでさえ、言葉を失ったという。
だが、中田が志を持たなければ、本田が勇気を持って発言しなければ、日本のいまは間違いなくなかった。彼らの夢は実現を選手として体験することはできなかったが、あのときに蒔かれた種は、確実に発芽の時を迎えようとしている。
オランダのように、幾度となく決勝まで駒を進めながら、いまだ頂点に立てていない国もあるように、W杯は志したからといって勝てるような大会ではない。高い目標を掲げたものは、それをかなえられなかったとき、より強い批判、避難を浴びるものでもある。ひょっとしたら来年、日本を待ち受けているのはそんな運命かもしれない。
だが、それでも種は残る。
W杯優勝を目指した経験は、たとえ結果が恐ろしく苦いものであったとしても、次の挑戦者を育てる。日本が足を踏み入れようとしているのは、欧州、南米以外では初めて、サッカーが国技ではない国としても初めてとなる、一過性ではない“強者のサイクル”である。
<この原稿は25年3月27日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>