ロンドンを目指すなでしこと五輪代表の予選が始まる。ザッケローニ監督が“ブラジルでのファイナリスト”という壮大な目標を掲げたA代表の戦いも始まる。9月は、日本サッカーにとって大きな意味を持つ戦いが目白押しである。
 これまで、日本サッカーにとっての予選とは、世界中の圧倒的多数がそうであるように、結果のみが求められる舞台だった。内容は二の次。とにかく勝てばいい。どれほど乏しい内容であろうとも、勝てばすべてが許される。選手や関係者だけでなく、ファンやメディアの中にも、そして私自身の中にも、そうした感情があった。
 だが、なでしこが素晴らしい勝利を収めたことで、さらには日韓戦でのA代表が史上最高ともいえる快勝を収めたことで、いささか様相は変わってくるかもしれない。多くの日本人は、ただ勝つだけでなく、美しいフットボールで勝つ喜びを知ってしまったからである。

 勝利のみに固執し、欧州のメディアから「ケダモノ」と罵られることもあったアルゼンチンは、78年W杯での感動的な勝利を境に魅力的なサッカーへと転じた。70年や82年の素晴らしい代表を知るブラジル人は、優勝を収めた94年の代表チームに対して「退屈」とのレッテルを貼りつけた。選手や監督にとっては過酷極まりない状況だが、しかし、だからこそ彼らは常に一定の競争力を保ち続けている。基準となる栄光の存在が、後の世代を磨き続けている。

 欧州や南米に比べて、日本サッカーの歴史はまだまだ浅い。しかし、W杯優勝経験国でさえすべてが到達したとは言えない境地に、いま、日本サッカーはたどりつこうとしている。勝負にこだわりつつ、同時に一本勝ちにもこだわる柔道と同じように、結果だけでなく内容にも多くを求める国に生まれ変わろうとしている。
 ここが、分水嶺である。

 サッカーの世界において、勝つことは簡単ではない。簡単ではないから、世界の圧倒的多数は、勝つことだけで満足することができる。たとえそれが“アンチ・フットボール”と呼ばれる醜いスタイルであっても、満足することができる。つい最近までの日本も、まさにそうした国の一つだった。

 いま、選手は、関係者は、美しいフットボールで勝とうという方向に大きく傾きつつある。だが、ファンやメディアが「勝てばOK」という姿勢から抜け出せないようだと、すぐに磁石はぶれ始めるだろう。勝っても、内容いかんでは手厳しい批判が出る国になれるか。W杯優勝経験国では当たり前の域に達することができるか。なでしこの記憶が新しいこの9月から始まる予選は、ゆえに、分水嶺である。

<この原稿は11年8月18日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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