アンジ・マハチカラ?
 わたしは知らなかった。どこの国の、どんなチームなのか、まるで知らなかった。ロシア連邦の中にあるダゲスタン共和国? タジキスタン、ではなく?
 ところが、91年に創設された歴史の浅い、そして世界的にはまったく無名だったこのクラブは、実に年棒2000万ユーロという額で、インテル・ミラノからサムエル・エトオを獲得した。それだけではない。インテルに支払われた移籍金は2700万ユーロとも2900万ユーロとも言われている。今年1月にオーナーに就任したスレイマン・ケリモフ氏は、たった一人のカメルーン人ストライカーの獲得に、ざっと50億円程度を費やしたことになる。経済誌フォーブスが発表する世界長者番付で30位にランクされたこともある大富豪からすると、ちょっとした小銭なのかもしれないが――。

 だが、スレイマン・ケリモフ氏は、昨今のサッカー界においては必ずしも珍しい存在ではない。チェルシーにおけるアブラモビッチ氏の成功によって、世界中の大富豪たちはサッカーに対する投資を惜しまなくなった。マンチェスター・シティー(イングランド)の復活、ホッフェンハイム(ドイツ)の台頭、マラガ(スペイン)の大変貌……いずれも、オーナーの財力なくしてはありえないことだった。

 ただ、スレイマン氏の場合、すでにリーグとして隆盛を究めている西欧のチームではなく、2万人収容のちっぽけなスタジアムしか持たないアンジ・マハチカラのために巨費を投じたことが注目される。彼らが所属するロシア・プレミアリーグは今季を最後に、西側諸国と同じカレンダーである秋春制に移行する。つまり、バルセロナやマンチェスターUと同じスケジュールで、欧州の頂点を狙えるようになったわけだ。目標が国内の頂点から欧州、さらには世界の頂点へと開けたことも、スレイマン氏の意欲を刺激したのではなかったか。

 たった一人の選手に50億円を費やすようなやり方が、果たして長続きするものなのか、そもそも許されるものなのか。答えが出るにはいましばらくの時間が必要だろう。ともあれ、とかく歴史や伝統が幅を利かせてきた欧州のサッカー界が、潤沢な資金を持った新参者によって動き始めているのは事実である。そして、そうした流れがある一方で、世界の頂点に君臨しているのが徹底した育成型のクラブであるバルセロナだというのも興味深い。チームを強くするために必要なのは金か、それとも哲学か。しばらくは、そのせめぎ合いを楽しめそうである。

<この原稿は11年8月25日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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