金丸にとって4度目の世界陸上が開幕した。男子400mの予選は5組で争われ、各組の上位4着までと、5着以下の中からタイム順で4人までが準決勝に進める。金丸は予選3組に入った。同組には前回大会と北京五輪を制したラショーン・メリット(米国)がいた。
 大会2日目の8月28日。予選突破、そして夢のファイナリストに向けたレースのスタートだ。4レーンの金丸は位置につく前に、いつものごとく両手を水平に広げ、ピョンピョンと右へ左へ軽く跳ねた。代名詞とも言える“金丸ダンス”である。始めたのは高校時代から。彼にとっては体をリラックスさせるのみならず、験担ぎの要素がある。
「一番、最初にあれをやった時に自分が思っていた以上の記録が出たんです。最初は腕だけだったんですけど、それがどんどんああいう形になっていきました」

 動から静へ。一連の儀式を終えると、スターティングブロックに両足を乗せ、静かにその瞬間を待った。
「パーン!!」
 乾いた音がスタジアム全体に鳴り響く。積極的に前へ出たのは赤のユニホームに身を包んだ金丸だ。前半は7レーンを走るメリットにも引けをとらない走りをみせる。第3コーナーを回ったところで、さすがに他の選手に追いつかれるが、4着で最後の直線に突入する。

 体内に蓄えた酸素が欠乏し、もっとも体力的に厳しい残り100m、金丸を上半身をよじってなんとか前へ進もうとする。ゴール手前はロシアの選手に猛烈な追い上げにあったものの、なんとか逃げ切った。45秒51。4着を確保しての予選通過。過去2度、予選の壁を乗り越えられなかった23歳にとって、まさに“3度目の正直”だった。

「とりあえず(準決勝に)行けてホッとしています。準決勝では出し切るレースをしたい。まだ物足りない。もっと行ける」
 レース後、そう振り返った金丸は、まさに準決勝で勝負を賭ける。決勝に進むには各組で2着までか、3着以下でもタイム順で2番までに入らなくてはならない。予選での金丸のタイムは準決勝で進出した選手の中で18番目。大会前から語っていたように120%の力を発揮しなくては最後の8人に残ることは難しかった。

 金丸が入ったのは準決勝1組の8レーン。奇しくも5月の大邱国際選手権で優勝した時と同じレーンだった。ピストルが鳴るやいなや、飛ばしに飛ばす。最初の200mは、またも同組に入ったメリットと上位争いを展開する。しかし、課題の200〜300mで失速し、下位に沈むと、大邱国際選手権で見られたようなラストの巻き返しも見られなかった。

 結果は6着。ゴールイン直後はエネルギーを使い果たしたかのように、トラックにひざまずいて倒れこんだ。終盤でのペースダウンが響き、タイムも46秒11と平凡だった。「世界への挑戦」と位置づけた金丸の世界陸上は、決勝進出と44秒台の壁が分厚いことを改めて実感するかたちになった。

 だが世界と記録への挑戦はまだ終わったわけではない。むしろ、ここからがスタートだ。
「常に期待されるような選手でありたいですね。それは自分にとっても、周りにとっても。“もうダメでしょう”と思われたらアスリートとしては終わりですから」
 次の大舞台は来年のロンドン五輪。大邱で与えられた夏の宿題をどう片付けるか。金丸祐三がトラックと向き合う日々は、今後も続いていく。

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(おわり)

金丸祐三(かねまる・ゆうぞう)プロフィール>
1987年9月18日、大阪府生まれ。マイケル・ジョンソン(米国)に憧れて中学から陸上を始め、大阪高2年時のインターハイで初優勝。その年の国体400mでは45秒89で走り、為末大が持っていた日本高校記録を8年ぶりに塗り替える(以後、2度更新)。高3時の05年には日本選手権で優勝。同年の世界陸上ヘルシンキ大会に1600メートルリレーで初出場を果たす。以後、世界陸上は4大会連続で代表入り。08年には北京五輪にも出場。09年5月の大阪グランプリでは日本歴代4位、自己ベストとなる45秒16で2位に入る。今季は5月の大邱国際選手権で優勝。6月の日本選手権では男子短距離では初の7連覇を達成した。法政大を卒業した10年より大塚製薬工場に所属。身長177センチ、体重77キロ。



(石田洋之)
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