第1180回 スポーツに兵器…「魚雷バット」の呼称に違和感

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 6年前に他界した無頼派作家の安部譲二さんは、高校野球の指導者がしばしば口にする「野球は教育の一環」という言葉を忌み嫌っていた。古い取材ノートに、独特のダミ声が聞こえてきそうな“安部節”の一部が残されていた。

「野球用語を見てみろよ。“刺殺”に“盗塁”に“暴投”に“死球”。刺したり、殺したり、盗んだり、暴れたり、死人が出たり…。そんなんばっかりじゃないか。相手が盗塁を試みようとすると、ベンチから“殺せ!”の声がいっせいに飛ぶ。おい、これのどこが教育なんだよ。暴力団員だって、今頃は、こんな物騒なことは言わないぜ」

 

 安部さんは前科17犯(国内14犯、国外3犯)の元暴力団員。ヤクザ稼業から足を洗って作家に転じた変わり種で、デビュー作の『塀の中の懲りない面々』はベストセラーになった。また大の野球好きとしても知られ、『塀の中のプレイ・ボール』という自伝的小説もある。

 

 安部さんが「物騒」と指摘した野球用語の大半は、02年に野球殿堂入りを果たした俳人の正岡子規が和訳したものだ。ボールは「小球」、ピッチャーは「投者」、ホームベースは「本基」、ホームインは「廻了」、アウトは「除外」と訳したが、さすがにこれらは今では死語だ。

 

 米国生まれのベースボールに関する用語は、元々勇ましいものが多い。ダグアウトは塹壕を意味する戦争用語との指摘もある。またブルペンは(鼻息荒く出番を待つ)雄牛の囲い場、ベースは軍事用語の拠点に由来すると言われている。

 

 日本でも、かつては「ミサイル打線」を売り物にしたチームがあった。破壊力を秘めた1番打者は「核弾頭」と恐れられた。

 

 さてMLBで話題のトルピード(魚雷)バットの使用が日本でも解禁された。これにより近年の行き過ぎた“投高打低”が幾分でも解消されるのならご同慶の至りである。問題は呼称だ。バットの形状が似ているとはいっても魚雷は本来、艦船を攻撃するための兵器である。それでなくても世界中で戦火の絶えないこのご時世、呼び方まで米国に右に倣えする必要があるのか……。

 

 そんなモヤモヤを抱いていた矢先、である。朝の番組で長嶋一茂さんが、素晴らしいことを言った。「スポーツに魚雷って言葉はふさわしくない」「どう使用するにしても殺傷能力の高い物なんだから。それとスポーツってのは……。変えて欲しい」

 

 個人的には、架空の動物であるツチノコに形状が似ていることもあり、それを文字ったものでもいいのではないかと考えている。どことなく愛嬌もあり、子どもたちにも親しまれるだろう。あるいはメーカーが呼称を公募するのもひとつの手だ。いずれにしろ平和を想起するようなネーミングであって欲しいと切に願う。

 

<この原稿は25年4月16日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>

 

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