ボクシングの元6階級制覇王者オスカー・デラホーヤが、8月30日にテレビ放送されたインタヴューで衝撃的な告白を行なった。
「ここ2年間、自分の人生はどん底だった。生きている価値があるのかと考えた。自らの命を絶つ勇気まではなかったが、それを考えていたことは確かだ」
 9歳の頃から始めたという飲酒が過去2年、エスカレートし、コカインも併用したという。偽物だと強硬に主張し続けて来た数年前の女装写真も、実は自身のものであったと自白。その過程で夫人とも別居状態となり、乱れ行く人生に絶望し、自殺まで頭をよぎったというのだから穏やかではない。
(写真:デラホーヤの告白は多くのファンを驚かせ、悲しませた)
 5月にデラホーヤがカリフォルニア州のリハビリ施設に入所したと報道されて以降、理由に関しては様々な憶測が飛び交ってきた。考え得る限りのドラッグが引き合いに出されたが、真実はしばらくベールに包まれたまま。そんなミステリーに、ここで“ゴールデンボーイ”本人が幕を下ろした形になる。

「99%以上のボクサーが引退後に破産する。試合ができなくなったら最後、ボクシング界の人間は誰もその選手のことを気にかけない。引退後のボクサーに対するケアの欠如こそが業界の最大の問題だよ」
 元ヘビー級コンテンダーのジェリー・クーニー(1982年にラリー・ホームズの持つ世界タイトルに挑戦)は、かつて筆者にそう語ったことがある。その言葉通り、引退後にさまざまな形で身を滅ぼしていくボクサーは残念ながら枚挙に暇がない。しかしそんな中でも、デラホーヤだけは違うと多くの関係者が信じていた。

 バルセロナ五輪で金メダルを獲得し、プロ入り後も順調にスーパースターの階段を昇っていった。プロデヴュー直後に女性関係でスキャンダルが明るみに出たこともあったが、すぐに後始末してこと無きを得た。
 酒好きの噂もイメージダウンには繋がらず、引退後は「ゴールデンボーイ・プロモーションズ(GBP)」の代表取締役に就任。美しい妻と3人の子宝に恵まれるなど、その人生は誰の目にも順風満帆に見えた。
 1990年代に表舞台に登場以来、デラホーヤは業界の明るい部分を象徴するような存在だったと言って良い。それだけに、今回の「リハビリ施設入所→衝撃告白」に対する周囲の驚きは大きかったのだ。
(写真:引退後も数々の大興行のプロモーション活動に姿を見せていただけに、今回の騒動の衝撃は大きかった)

 しかし改めて振り返ってみれば、伏線は敷かれていたと言えるのかもしれない。2年近くも前の話だが、マニー・パッキャオ対ミゲール・コット戦のファイトウィーク中に、筆者はラスベガスでデラホーヤと短い会話を交わしたことがある。
 話の内容はデラホーヤ自身も対戦して敗れたパッキャオに関してや、彼が出演したテレビ番組に関する他愛のないもの。“ゴールデンボーイ”は常に笑顔を絶やさない好感の持てる人物ではあった。

 しかしその一方で、筆者と話しているときも、他の人間の相手をしているときも、どこか心ここにあらず。まるで多忙な政治家と接しているような不自然さも感じさせられた。そして、その印象は、デラホーヤに近い多くの記者仲間から盛んに聞かされていたのとまったく同じものでもあった。
「もう嘘をつくのには疲れた」
 問題となったテレビインタヴューの中で、デラホーヤはそうも語っている。おそらく、正直な告白だったのだろう。

「黄金の男」の看板を背負い、現役時代から常に業界の顔として振る舞うことを余儀なくされた。まさにまるで政治家やアイドル歌手のように、公の場所で大きな失敗を犯すことは許されなかった。ここ20年近くもの間、ずっとそうやって生きてきた男の生活が、現役生活の終焉後に徐々に波状していった。
 金メダリストだろうが、複数階級王者だろうが、感じる孤独感は同じなのだろう。結局はデラホーヤも、引退後に崩れていく他の多くのボクサーたちと何ら変わりはなかったのだ。
(写真:リング上のスポットライトを離れた後に生活が乱れるボクサーは数え切れない)

 すでにリハビリ施設を退院したデラホーヤは、ここ3カ月は酒もドラッグも手にしていないと明言している。9月に迫ったフロイド・メイウェザー対ビクター・オルティス戦の宣伝活動にも姿を現しており、コンディションが良い方向に向かっているのは確かに違いない。
 先程、クーニー氏の言葉を引き合いに出したが、ただデラホーヤに関しては破産したわけではない。誇りにできない傷跡がレジュメに残っても、ボクシング界の重要人物であることに変わりはないし、近い未来に名誉回復も可能なはずだ。

 新たな第1歩を踏み出したデラホーヤの幸運を祈らずにはいられない。そして、これはあくまで個人的な願いだが、再出発後はGBPだけでなく、真の意味でボクシング界の利益のために活躍して欲しいと願う。
 これまで、プロモーターとしてのデラホーヤは必ずしも評判が良いとは言えなかった。ビジネスの才覚は感じさせても、結局は自らが抱えるボクサーたちの利益のみを追求するような態度を貫き、ボクシングファンを落胆させてきた。

 しかし、そんな姿勢に変化の兆候が見え始めている。リハビリ所内に入っている間に、デラホーヤはGBPのライバルであるトップランク社のボブ・アラム氏、契約問題を巡って軋轢があったパッキャオにこんなメッセージを送った。
「ボブ・アラムとパッキャオに心から謝罪したい。今後はファンに最高のファイトを届けるように努力したい」
 心のこもった言葉を受け取り、アラムも「感謝する」と素直に返答。こうしてしばらく冷戦状態にあった現代ボクシング界の二大プロモーション会社は、現在、和解の方向に向かっている。おかげで今後、この2社が抱えるトップボクサーたちが対戦する好カードの多くが実現することになりそうである。

 リハビリの過程で自分を見つめ直し、それがこの「歴史的和解」に繋がったのだろうか。誰もがショックを受けたデラホーヤのトラブルが、こんな副産物を生み出すきっかけになったとしたら皮肉ではある。だが、これもボクシング界におけるデラホーヤの影響力の大きさを表しているとも言えるのだろう。
 そしてこの「改心」を、よりポジティブな方向に役立てない手はない。マッチメークの件に関する以外にも、はびこり続ける地元判定、レフェリーのアンフェアな裁定など、ボクシングの世界には理不尽な問題は山ほどある。

 それらを解決に近づけるため、尽力すべき人物がいるとすれば……世界的な人気と知名度を誇り、英語とスペイン語のバイリンガルで、何より目先の金に走る必要のない財力を誇るデラホーヤだけなのではないか。そして彼が自ら恥を告白し、混じりっ気のない素顔に戻ってのリスタートを決意した今こそが、絶好のチャンスなのではないか。
(写真:今後のデラホーヤの復権に期待しているのは彼の家族だけではない)

“デラホーヤの告白”は、多くの人を驚かせ、悲しませた。同時に公の場ですべてを曝け出した勇気は、各地で賞讃された。
 生き馬の目を抜くようなアメリカは、一方で“セカンドチャンスの場所”として知られる国でもある。かつてスターボクサーとしてファンを喜ばせたデラホーヤが、今後に取り戻せるのは自らの名誉とプライドだけではないはずだ。
“ゴールデンボーイ”がボクシング界を別の形で再び支えてくれる日々を、多くの関係者が心待ちにしているのである。


杉浦大介(すぎうら だいすけ)プロフィール
1975年生、東京都出身。大学卒業と同時に渡米し、フリーライターに。体当たりの取材と「優しくわかりやすい文章」がモットー。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、ボクシング等を題材に執筆活動中。

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