SFF(スプリット・フィンガード・ファストボール)を武器とする歳内宏明(聖光学院)。152キロの快速球を誇る釜田佳直(金沢)、四国ナンバーワンの左の強打者・北川倫太郎(明徳義塾)、投打ともに今大会屈指の実力を持つ白根尚貴(開星)など、今夏の甲子園も逸材が目白押しだ。

 炎天下、バックネット裏に陣取り、スピードガンやストップウォッチ片手に最終チェックに余念がないのがプロ野球のスカウトたちだ。
 1年生の頃から追いかけてきた“金の卵”たちがどれだけ成長しているか、夏の甲子園は、それを確認する舞台でもある。
 元ヤクルトのスカウト部長片岡安雄は池山隆寛、川崎憲次郎、古田敦也、高津臣吾、岩村明憲らを獲得し、野村ヤクルトの3度の日本一、4度のリーグ優勝に貢献した敏腕スカウトである。
 この片岡には名言がある。
「選手探しはネクタイ探しと一緒」
 たとえ何百本、ネクタイが並べられてあっても目立つものは目立つし、目立たないものは目立たない。
 野球選手もこれと同じ。パッと目に飛び込んでくる選手がいい選手だというのだ。
「あれにしようか、これにしようかと迷うとロクなことはない」
 片岡は苦笑を浮かべて、そう語っていた。

 ところで片岡は次のような手順でドラフト候補生を絞り込んでいった。
<たった一打席で何がわかるのか、と思われるかもしれないが、こちらもスカウトとして何千、何万人もの選手を見ている。ピッチャーにしてもバッターにしてもユニフォームを着てグラウンドに立った姿を見ただけで、ダメな選手はすぐにわかった。
 いい選手は、ユニフォームを身に纏っただけで雰囲気がある。一球投げたり、ひと振りすれば〇か×か、瞬時に判断できた。△の場合だけ、リストに残して「宿題」になる。
 こうしたチェックを積み重ね、二五〇人以上いる候補達を夏が終わる頃には一〇〇人ほどに絞っていく。
 私はひとつの方法でドラフト候補を絞っていった。
 名前や学校名などを一切メモせずに、とにかく記憶だけを頭に入れる。自分の眼で確認する過程で消えていくような選手は捨てる、というやり方だった。
 おもしろいもので、実力がある選手の名前はちゃんと忘れずに残る。こうしてドラフト直前には、候補選手や数名のリストができ上がった。>(片岡安雄著『プロ野球スカウトの眼はすべて「節穴」である』、双葉新書より)
 こうして狭き門をくぐり抜けた野球エリートでも、プロの世界で生き残れるのは、ほんの一握り。これが競争社会の現実である。

 西の球団からも、ひとり名スカウトを紹介しよう。
 広島カープのスカウト部顧問・村上(旧姓・宮川)孝雄だ。
 村上は九州地区を中心に活動し、北別府学、津田恒実、前田智徳、緒方孝市らを発掘し、指名した。
 村上は選手を獲得するにあたり、その選手の実力のみならず、親の性格までをも参考にした。
 その典型的な例が213勝投手の北別府だった。
「北別府は鹿児島県末吉から宮崎県の都城までの二十数キロを自転車で通っていました。当時はまだ舗装もしていなくて砂利の上を走っていた。
 お母さんは毎日、昼飯代として五〇〇円を渡したそうです。普通なら渡しっぱなしになるところを、お母さんは一〇〇円でも五〇円でも余ったおカネは全部もらっていた。
 なぜかと聞くと、たとえ一〇〇円や五〇円のお釣りでも塵も積もれば山となる。それをいい方向に使うとは限らないでしょう、というんです。いやぁ、このお母さんはしっかりしているなと思った。息子もまじめになるはずですよ」

 プロでの成功の条件として片岡は「ユニフォームの着こなし」をあげたが、村上は「顔も大切」だと語っていた。
「この世界、男前じゃないと出世しません。男前というのは何も甘いマスクということではない。北別府も津田も前田も皆、面構えがしっかりしているでしょう。賢そうな顔をしていますよ。
 私が知っている範囲で、男前じゃのうて成功したのは西鉄の中西太さんくらいですよ、アッハッハッ」

 仕事柄、プロのスカウトと似ているのは刑事である。一挙一動に目を凝らし、ちょっとした仕草も見落とさない。
 その集中力と観察力が「明日のスター」を発掘するのである。

<この原稿は2011年9月2日号『週刊漫画ゴラク』に掲載されたものです>

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