現在のバルセロナにつながるサッカーの源流は、70年代のアヤックスとオランダ代表によって作られたといっても過言ではない。
 リヌス・ミケルスが編み出し、ヨハン・クライフによって具現化された新しいスタイルは、武将の一騎打ち的な要素を持っていたそれまでのサッカーを、セピア色の思い出へと変えた。たっぷりとした時間と空間の中で思う存分に才能を発揮してきたブラジルの芸術家たちは、“ボール狩り”と呼ばれた集団歩兵戦法によって圧殺された。
 以来、ボールにプレスをかけるスタイルは、リベラルを自任する指導者、メディア、ファンにとって必須の戦術であり続けている。オランダのやった、あるいはバルセロナがやっているスタイルや戦術、選手起用を真似る人たちは世界中に数えきれないほどいる。

 だが、そもそもアヤックスのスタイルはなぜ生まれたのか。彼らには手本とすべき存在はなかった。ミケルスは、クライフがいて、ニースケンスがいて、クロルがいたからこそ、彼らに適したスタイルを考えたのではなかったか。彼らのやり方は多くの信奉者、追随者を生んだが、元来、ミケルスたちにとってボール狩りは目標ではなく、効率よく勝つための手段だったはずである。

 ところが、あまりにも鮮烈だったミケルスのサッカーは、いつしか勝つための手段ではなく目的そのものにすり替わってしまった。選手を生かすためのトータル・フットボールではなく、トータル・フットボールを遂行するために選手を当てはめる。近年ではファン・ハールあたりがその象徴的な存在と言えるが、クライフでさえ、バルセロナ時代はGKのフィード力に重きを置くあまり、本来はフィールドプレーヤーだった選手をGKに転向させたことがある。日本でも、バルセロナのようなサッカーをやるためにシステムを変え、選手起用を変えた指導者がいることだろう。

 W杯南アフリカ大会でチリ代表を指揮し、大会後は日本代表監督の本命とされたビエルサを、わたしはポゼッション、テクニックに重きを置く、いわゆるバルサ系の監督と認識していた。だが、新天地として選んだビルバオで、彼は興味深い挑戦をしている。自らの理想に選手を当てはめるのではなく、従来いた巨漢ストライカーを生かすためのポゼッションサッカーを構築しているのである。グアルディオラ監督はイブラヒモビッチを異物としてアクセントにしようとしたが、ビエルサはジョレンテを軸に逆算して考えた。成功すれば、新たな流行の誕生にもなろう。「変人」とも言われる名将の挑戦に注目したい。

<この原稿は11年10月6日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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