サッカーの世界で「キング」の称号が許されているのはペレだけだ。
 選手として58年スウェーデン大会、62年チリ大会、66年イングランド大会、70年メキシコ大会に出場し、3度の優勝に貢献した。
 そのペレにインタビューしたのは1991年のことだ。
 何が印象に残っているといって、ゴムまりが弾むようなバネのきいた歩き方だ。
 その時にもらったサッカーボールのかたちをあしらった。円型の名刺は残念ながら手元にはない。

 丸いから名刺入れに入らず別のところに保存していたのだが、引っ越しの際に見失ってしまったのだ。
 返す返すも残念である。

 彼にはエドソン・アランテス・ド・ナシメントという本名がある。それが、なぜ「ペレ」になったのか。
 ブラジルのサッカー選手は大多数がニックネームでプレーしていることは知っていたが「ペレ」という名の選手は他に聞いたことがない。
 その点を質すと「なぜ誰もが私のことを『ペレ』と呼ぶのか。その理由を一番知りたがっているのは、実はこの私なんだ」と率直に答えた。

 以下はペレの話。
「『ペレ』と初めて呼ばれたのは、私が7歳の時だった。私はサンパウロ州バウルーという小さな町でボールを蹴っていた。その時、誰かが私のことを『ペレ』と呼んだのだ。『ペレ』というのは非常に珍しい名前で、最初、私はピンとこなかった。なぜ私は『ペレ』と呼ばれなくちゃならないんだろうって。
 そう思うと腹が立ってきて、ついに私は『ペレ』と呼ぶ者たちと大ゲンカをしてしまった。お陰で2日間の停学処分ってわけだ。

 よく『ペレ』というのは『裸足』とか『裸体』という意味じゃないのかと聞かれることがある。
 ブラジルでも子供たちが裸足でやるサッカーのことを『ペラーダ』というからね。
 だけど、この言葉ができたのが10年から15年前のことで、私が少年の頃には使われていなかった。そうである以上、これは当たっていない。

 そこで私はあるグループに頼み、世界中のジャーナリストの協力を得て『ペレ』という名前の由来を徹底して調べ上げたんだ。
 その結果、いくつかのヒントを発見することができた。
 ブラジルの一部やカリブ海のマルティニク島にスペルは違うが『ペレ』という名前の人が存在すること、ギリシャ神話に『ペーレ』という神が出てくること、等々。
 しかし、そうしたヒントが私の名前とどう関係しているかについては、結局わからずじまいだった。

 ただ、今になってひとつ感謝していることがある。『ペレ』という名前は変わっていて呼びやすい。だから世界中の人々に覚えてもらうことができたんだと。
 もし私が『エドソン』のままなら、アフリカや中国にまで名前が浸透していただろうか。少なくとも、これほどまでは人々に愛されることはなかっただろう」

 インタビュー前の91年4月、ディエゴ・マラドーナがコカイン不法所持で逮捕されるというショッキングな事件が起きた。
 これに対するペレの反応はこちらが驚くほど厳しかった。
「これはサッカー界全体にとって、非常にネガティブな事件として記憶されるだろう。私は何にもまして世界中の子供たちの悲しみを思うと、胸が激しく痛む。
 私の人生は麻薬追放の運動とともにあったといっても過言ではない。麻薬によって地球上で今、どのくらいの人間が苦しんでいるか。

 子供たちに希望を与える立場の私たちが麻薬に手を出すということは重大な背信行為なのである。それをマラドーナほどのスーパースターがなぜ理解できなかったのだろう。
 もしコカイン所持の容疑が事実ならマラドーナは裁かれるべきであり、また謝罪すべきだ。彼には強い肉体の他に強い心が必要である」

 しかし、残念ながらペレの声はマラドーナには届かなかった。
 94年のアメリカ大会、マラドーナは薬物をカクテルのように摂取していることが判明し、ドーピング違反によって大会から追放されてしまったのである。

 そのマラドーナが率いたアルゼンチン代表を、ペレはどう見ていたのだろうか。
 あるいは守備的といわれたセレソン(ブラジル代表)を率い、南アフリカW杯でベスト8止まりだったドゥンガの手腕については?
 また、じっくりキングの話に耳を傾けてみたい。

<この原稿は2010年7月2日号『週刊漫画ゴラク』に掲載されたものです>
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