かのコルビー・ルイス(レンジャーズ=元広島)が、3日(現地時間)レイズとの地区シリーズで6回1失点の好投。今季ポストシーズンの1勝目を挙げた。
 ルイスが好投すると、なんか、嬉しい。「日本での経験は野球人生を変えただけでなく、喜びと感謝の気持ちに満ちた人生の大切な1ページ」(「スポーツニッポン」10月5日付)だそうだ。
 ルイスにとって広島カープの2年間は、投手としての人生の大きな転機になった。その記憶が、今や彼の中では、「人生の大切な1ページ」となって脳裏に刻みこまれているらしい。
 この記憶の持ち方、どこか恋の記憶の持ち方と似ていないだろうか。人生の宝物としての恋の記憶。それは、往々にして人が今を生き抜くための原動力ともなり得る。たとえ終わった恋だとしても、あのとき自分には生きることに喜びがあった。だから今日、もう一度頑張るか――。まあ、そんな話はさておき。

 中日・落合博満監督の今シーズン限りの退任が発表された。その理由はさまざまに報じられた。中日球団の内情は知るよしもないが、概ね報道の通りなのだろう。
 落合監督に、まるで「恋の記憶」のような「野球の記憶」は、あるのだろうか。その記憶があるからこそ、今日も戦える、というような。
 まったくの想像を申し上げれば、きっと三冠王を獲った時の記憶なのでしょうね。それが、勝負師・落合博満を支えている。

 例えば、10月1日の阪神対中日戦は、いわゆる落合采配が見事にはまった試合だった。
 4−3と中日リードで迎えた7回裏、2番手投手・伊藤準規が無死満塁のピンチを招く。ここで阪神は、代打・桧山進次郎。対して中日は、ピッチャー小林正人。左打者・桧山に対して、左下手の変則投手・小林をぶつけたのだ
 小林は、左対左の優位を生かして、外角に流れるボールで勝負する。これを桧山もなんとかとらえて、レフトフライ。
 やや浅いが、犠牲フライになるかどうか微妙なところだ。レフト和田一浩が捕球。と同時に三塁ランナー、タッチアップ。和田、バックホーム……。
 これが、どんぴしゃで返ってきて、捕手・小田幸平も好ブロック。一気にダブルプレーを完成させたのでした。さすが堅守の“落合竜”というところだが、むしろ驚いたのはここからだ。

 2死二、三塁となって、打者は左の鳥谷敬。再び左対左の勝負だが、ここで中日ベンチは投手を、右のセットアッパー浅尾拓也にスイッチしたのである。
 なんで? 左対左じゃないの。
 おそらくは、鳥谷のスイングだと、小林のボールはレフト前へ飛びやすいとかなんとか、理由があるのだろう。落合監督が理由のない采配をするとは思えない。
 実際、浅尾は、アウトローいっぱいのストレートで鳥谷を見逃し三振に切ってとったのである。

 もう一つのシーン。試合は進んで9回表、阪神の投手は久々の小林宏。先頭・平田良介のヒットから敵失がからんで、1死二、三塁。ここで一本出れば、完全なダメ押し。強い勝ち方である。
 しかし、代わった阪神・福原忍に対して、好調の代打・谷繁元信、1番に返って荒木雅博が凡退。無得点に終わってしまった。

 最後に三つ目のシーン。9回裏、中日の投手は当然のようにクローザー岩瀬仁紀。ところがピリッとしない。1死から代打・関本賢太郎ヒット、平野恵一は四球で一、二塁のピンチ。下手すりゃ、逆転サヨナラである。9回表にもし1点でも入っていれば、こんな修羅場にはならなかっただろうに。
 結果的には、岩瀬は後続を断ち、中日は4−3という接戦をモノにしたのである。

 1点差を勝ちきった――といえば聞こえはいい。確かに7回裏、無死満塁での采配は、目を見張るものがあった。
 しかし、どうして9回表にダメ押し点が取れなかったのだろう。代打・谷繁が凡退したか、ああ残念、と思ったら次の瞬間には続く荒木が、初球をきっちり叩いてタイムリー。5−3。というふうになれば、強いなあと思い知らされたはずだ。しかし、今年の中日は、なかなかそうはならずに春から夏場を過ごしてきた。

 今季、実は中日は弱いのではないか、と主張してきた所以である。もちろん、10月に入って最大10ゲーム差あった首位・東京ヤクルトとの差を逆転し、首位に躍り出た(6日)のだから、「弱い」という評価はあたらないのだろう。ただ、福岡ソフトバンクのように、本当に強いなと感じさせる強さかといえば、少し違う。

 例えば、広島カープの試合で、先の9回表の中日の攻撃によく似たシーンを何度も見た。下位打線、たとえば木村昇吾とか天谷宗一郎あたりが出て8番捕手の打順で送り、9番投手の代打が凡退。1番に返って東出輝裕。打てばリードを奪えるが、ここまで2安打の好調東出が打ちとられて残念! みたいなシーン。別に東出を責めているのではない。だから肝心なときに得点が入らず、負けがこむ。弱いチームの典型である。中日にも、こういうシーンは散見された。
 だから、中日も弱いが、ほかのセ・リーグ5チーム(夏場まではヤクルトを除く4チーム)がさらに弱いのだ、という言説もあながち暴論とはいえまい。

 1日の試合後、落合監督は「オレに投手のことを聞くな」と、7回裏の采配についての質問をかわしたそうだ。この人らしい韜晦である。
 では、なぜ、中日は10月になって首位に立つことができたのか。(今後の首位攻防がどうなるかはもちろんわからないが、少なくともいったんは首位に立った)
 もちろん、ヤクルトの投手陣が故障者の連続でままならなくなった、という事情がある。

 一方で、落合監督の側にたてば、常にシーズン全体を見通して、戦っているからだろう。
 確かに投手陣の駒は揃っている。セ・リーグ6球団随一といってもいいかもしれない。でも、例えばエース格のチェン・ウエインがシーズン通してよかったかといえば、そうは言えない。10月に活躍している4番トニ・ブランコにしても、試合に出られない時期もあった。

 前半戦、何の希望ももてないような惨敗も何度かしている。そんなとき、監督のコメントはたいてい「こんな試合もある」である。少なくとも対外的には、その一言ですませてきた。内心がどうであるかは知らない。ただ、この時期負けても構わない、という大局観は働いていたはずだ。ここに、実は他の5監督との発想の違いが潜んでいると思う。
 やはり勝てるときには勝ちたい。負ければ何か手を打って修正したい。いくらペナントレース序盤でも、負けゲームで「今はこれでいい」という判断には立ちにくい。

 おそらく、この傾向を助長しているのは、クライマックスシリーズである。今のシステムなら、12球団どこの監督でも、とりあえずは3位を確保したい。勝って上位にいて安心したい。
 その点、落合監督は、クライマックスシリーズ進出権ではなく、ペナントレースを戦っているのではないか。シーズンを通して戦って、最後に1位にいること、これこそがペナントレースの戦いである。

 少し想像が走り過ぎているかもしれない。しかし、少なくとも発想の質として、述べたようなことは的はずれではあるまい。
 MVPを獲った翌年に、和田のフォーム改造をしたり、育て上げた荒木・井端の二遊間を入れ替えたり、大胆かつ繊細な采配を披露してきた。和田のフォームも、アラ・イバの配置転換も、十分に合理的な理由があったと私は思う。

 8年前、監督に就任した時、「最後の7試合(日本シリーズ)で4つ取ればいいんでしょ」とコメントしたのが印象深い。あの言葉は、今に至るまで、監督・落合を適格に表現しているというべきだろう。
 落合采配が優れているのは、「クライマックスシリーズ体制」の時代に入ってしまった現在の日本のプロ野球にあって、最も正当にも、ペナントレースを勝ち取ることを発想の根底に置いていることではないだろうか。

 だからこそ、見たかったものがある。昨年あたりから徐々に衰えを見せるクローザー岩瀬をどのように新クローザーと交代させるつもりだったのだろう。1日の試合でいえば、三つ目のポイントである。
 残念ながら、これを見ることはできなかった。見てみたかったなあ。中日球団の経営者の方々は、きっと見てみたいと思われなかったのでしょうね。

 いずれまた、別のユニフォームを着て監督になる日は来るのだろうか。そのとき、偉大な打者としてではなく、監督としての彼の記憶は、どのように作用するのだろうか。この8年間に、あたかも「恋の記憶」のように人生に刻まれた、監督としての記憶がきっとあるはずだ。
 それが、中日監督時代とはひと味ちがう、新しい落合監督像をつくる機縁になるにちがいない。

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
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