山田和司には生涯、忘れられない試合がある。いや、忘れてはならない試合がある。大学4年時の全日本総合選手権、シングルス準々決勝だ。対戦相手は現在、日本ユニシスの先輩である池田雄一。3回戦で当時、日本代表だったシード選手を山田が破ったことで、この試合の勝者に日本代表の座が与えられるのではないか、とささやかれていた。そして1セット目から接戦となったこの試合、勝敗を分けたのは、2セット目で山田が取り損ねた1点だった。
 2008年、大学4年で初めてインカレのシングルスで優勝を果たした山田は、“学生チャンピオン”として国内最高峰の舞台、全日本総合選手権に臨んだ。順当に勝ち進んだ山田は準々決勝に進出した。スタンドからは対戦相手の池田にユニシス関係者から大声援が送られ、山田にとっては完全にアウエー状態だった。それでも山田は1セット目を逆転で奪い、2セット目も序盤は離されたものの、20−20とデュースに持ち込み、次のポイントを取って21−20とマッチポイントを迎えた。ラリー戦の末、池田の打ったネット際の球を、山田がカウンター気味に素早く打ち返した。シャトルの落下地点はラインぎりぎり。それは見る人によっては、アウトともセーフともとれる際どい場所だった。すると、次の瞬間、ユニシス陣営から大きな声が飛んできた。
「アウトだよ! アウト!」
 声の主は現在、山田が指導を受けているユニシスの中西洋介コーチだった。

「池田は当時、肩を少し痛めていましたし、準々決勝の前の3回戦も接戦の末に勝ち上がってきていたので、疲労が残っていました。ですから、体力的には学生の山田の方に分があるかなと思っていたんです。だから、こっちは必死でした。マッチポイントとなった1点も、正直、『セーフ』と言われてもおかしくないくらい微妙なものでしたが、池田にとっては初のベスト4に入れるかどうかの瀬戸際でしたから、必死になって『アウト!』と叫んでいたんです」
 結局、その声に押されてか否か、判定はアウトとなる。これが2人の明暗を分けた。

「これが決まっていたら、勝っていたのに……」
 そう思うと、山田は気持ちを切り替えることができなかった。2セット目を奪われると、続く3セット目は「失うものは何もない」とばかりにどんどんと攻めてくる池田に対し、山田は防戦一方となった。一度切れた集中力は最後まで戻らなかった。結局、山田は3セット目を落とし、逆転負けを喫した。
「池田さんはその試合に勝って、初めてナショナルチームに呼ばれました。その年、ナショナルのバックアップに入っていた僕も、結局は枠が増えて入ったんです。でも、池田さんにとってはあの試合で勝ったことでナショナルの道が開けたわけですから、1点で人生が変わるものなんだなと思いましたね。あの1点の重みは、今でも忘れられないです」

 1年後、ユニシスの選手として再び同大会に出場した山田は、次々と強豪を破り、念願のベスト4に入った。前年の悔しさが、山田の高い集中力を生んでいた。準々決勝で日本代表の選手を破ると、山田は中西コーチにこう言ったという。
「1年前の悔しさがあったからこそ、勝てました」
 中西コーチはその時、初めて山田が1年前のことを忘れていなかったことに気が付いたという。
「池田との試合の時は、正直、対戦相手の山田の気持ちは全く理解していませんでした。池田のことで必死でしたからね。でも翌年、準々決勝に勝った時の山田の言葉を聞いて、『あぁ、あの時の敗戦をかみしめての勝利なんだな』としみじみ思いましたね。それほど、山田にとっては大きな意味をもつ試合だったんだと思います」

 バドミントン人生最高の試合

 ユニシス入社以来、山田は順調に成長していると言っていいだろう。2年目の昨年、3月のスイス・オープンではアテネ五輪金メダリストで当時の世界ランキング3位の選手にストレート勝ちしてベスト8。初出場となった世界選手権では日本人男子としては30年ぶりのベスト8進出という快挙を成し遂げた。さらに今年は歴史ある全英オープンでも準々決勝進出を果たした。
 だが、山田にとって一番の思い出の試合は、意外にも黒星を喫した試合だという。昨年のデンマーク・オープンだ。山田は初戦で地元の英雄、ピーター・ゲードと対戦した。世界ランキング1位にまで上り詰めたその卓越した技はもちろん、コート外での振る舞いなど、山田は彼の全てを尊敬していた。

「中学の時からの憧れの選手なんです。ラリーの組み立ても巧いし、球もキレる。お客さんに対しても、すごく真摯なんですよ。もう、全てが好きなんです。中学時代、ヨネックス・オープン・ジャパンを観に行ったことがあるんです。絶対にサインが欲しいと思って、試合会場を探し回って、なんとかもらうことができました。今でも実家の部屋に、大事に飾ってあります」
 サインをもらったあの日、山田はまさか自分がその憧れの人と対戦することになろうとは、想像すらしていなかった。

 山田は対戦する前から興奮していた。「オマエ、気合い入り過ぎだよ」。そう周りから言われても、高ぶる気持ちを抑えることはできなかった。結果はストレート負け。しかし試合後、山田は清々しさを感じていた。
「もう、僕のバドミントン人生を全部伝えたかった。その試合は最初から最後まで集中していましたね。体力的には最後はきつかったんですけど、調子も良かったですし、やっていてすごく楽しかった。周りから聞くと、相手の速いペースに引きずられていたようなんですけど、逆にそれでも僕もついていくことができていましたからね。逆に『あぁ、自分もここまでできるようになったんだな』と自信になりました。僕のバドミントン人生で最も楽しめた試合でした」
 そう言って向けた笑顔からは、中学時代のあの日、憧れの人からサインをもらった時の興奮が伝わってくるようだった。

 世界の舞台でこそ強さを発揮!

「オリンピック選手になりたい」
 中学3年の卒業文集で山田は初めて「オリンピック」という言葉を出した。それまでは将来の夢にするどころか、全国の舞台でも活躍したことのない自分とは無縁のものだと思っていた。しかし、15歳で故郷を離れ、これまで縁もゆかりもない埼玉県の小松原高校への進学を決めた時、山田は自然とオリンピックを意識するようになった。
「愛媛を出るからには……」
 そんな思いが山田にはあったのだ。とはいえ、その時はまだ漠然とした夢に過ぎなかった。

 しかし、今は違う。大学4年時にナショナルチームに入って以降、山田は数々の試合をこなしてきた。世界でもまれながら、自らが得意とするスピードのあるバドミントンを追求してきた。そして今年もまた、ロンドンオリンピックに向けて世界を転戦している。山田にとってオリンピック出場はもう夢ではなく、現実的な目標となっている。
 その山田の挑戦に刺激を受けているのが高校、大学と最大のライバルとして切磋琢磨してきた遠藤大由だ。今、彼は同じユニシスに所属し、ダブルスでのロンドン五輪出場を目指している。
「種目は違いますが、やっぱり『アイツが頑張っているんだから、オレも頑張らなくては』という思いはありますね。山田にはいい刺激をもらっていますし、2人でロンドンの地に立てたら最高です」

 そして、山田の強さについて、遠藤はこんな風に語っている。
「スピードなら日本トップクラス。田児(賢一)や佐々木(翔)よりもありますよ。それに、彼の強さは大物に強いこと。これまでも世界のトップクラスを破っていますからね。だから、オリンピックへの可能性は十分にあるし、オリンピックでは表彰台のチャンスだってあると思います。もしかしたら、日本人がやれなかったことをやってくれるかもしれない。そんな期待感を持たせてくれるプレーヤーなんです」

 さらに中西コーチも山田の強さは、世界舞台でこそ発揮されると証言する。
「山田は日本人とやるよりも、海外勢と対戦した方が結果を残しているんです。昨年の世界選手権のように、日本人がなかなか破れない壁を破っている。今シーズンもグレードの高い大会で世界のトップ選手に1勝でも挙げれば、ググッと調子は上がっていくはずです」
 では、そのオリンピック出場のためには何が課題なのか。中西コーチは精度の高さを挙げた。
「スピードに関してはもう、日本人No.1と言っていいでしょう。でも、速いだけでは勝てません。激しく動きながら、きちんと四隅に打ち分けられるコントロールが必要。そしてより一球の速さを上げていけば、オリンピックに近づけると思います」

 現在、山田は世界ランキング28位。これは日本人では佐々木(同9位)、田児(同19位)に続いて3番目だ。ロンドン出場への条件は来年5月3日の時点で世界ランキング16位以内かつ国内で2番目に入らなければならない。決して楽観視することはできないが、それでもチャンスは十分にある。
オリンピックでの日本人男子シングルスの最高成績は、1994年アトランタ大会での町田文彦の3回戦進出だ。
「山田なら……」
 そんな周囲からの期待の声も大きい。だが、そのためにはまずはロンドンの舞台に立たなければならない。山田にとってはこれからが、まさに正念場である。

山田和司(やまだ・かずし)プロフィール>
1987年2月21日、愛媛県生まれ。両親がコーチを務める「新居浜ジュニアバドミントンクラブ」に通い始めた小学3年からバドミントン一筋。中学2年時には全国中学校総合体育大会に出場した。小松原高、日本体育大では遠藤大由(現・日本ユニシス)と共にエースとして活躍。大学4年時(2008年)にはインカレで男子シングルスを制覇した。09年、日本ユニシスに入社。同年12月に行なわれた全日本総合選手権大会で3位となり、昨年の世界選手権では日本人として男子シングルスで30年ぶりのベスト8に進出した。現在、日本代表としてロンドンを目指し、国内外の大会を転戦している。3日現在、日本ランキング31位、世界ランキング28位。






(斎藤寿子)
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