初秋の横浜を世界のトップで疾走した。9月19日、ITU(国際トライアスロン連合)世界選手権シリーズ横浜大会。バイクからのトランジッションを終え、残すは10キロのラン。シドニー五輪の金メダリストであるサイモン・ウィットフィールド(カナダ)、五輪前哨戦となる8月のロンドン大会で2位に入ったアレクサンドル・ブルカンコフ(ロシア)ら居並ぶ世界の強豪を押さえ、細田雄一は1位に躍り出た。
 世界との実力差がまだまだ大きいと言われる男子トライアスロン界において、ランで日本人がトップに立つのは史上初の快挙だった。
「先頭を走るのは気持ち良かったですね。声援に背中を押されました」
 地元開催というアドバンテージもあり、細田は快調に飛ばす。ランは山下公園からマリンタワーの前を折り返し、神奈川県庁をグルッと廻る1周2.5キロのコース。これを4周する。細田は後続に追いつかれるどころか、後ろを引き離しにかかった。沿道からは「細田、ガンバレ」の声がひっきりなしに飛んだ。

 得意のバイクで作戦成功

 最初のスイムではやや出遅れた。横浜湾内で750mを2周回するコース。スタートから約290m地点にある第1ブイを回るところで内を狙おうとしたところを集団から押し出された。1周目を終了した時点で先頭から21秒遅れ。しかし、慌てずトップとの差をほぼキープし、得意のバイクに入った。

 バイクコースは横浜の街中を駆け抜ける。山下公園からマリンタワーの前を折り返し、神奈川県庁の周りを廻って、みなとみらい地区へ。赤レンガ倉庫の側を通過して再び山下公園へ戻る5キロのコースだ。これを8周回する。カーブも多く、大きな折り返しが1周のうちに4度あり、道幅が狭い箇所もある。簡単にスピードアップはできない。先頭は大集団となり、細田もその前方のポジションをとった。
「テクニカルなコースなので体力が消耗しやすい。集団の真ん中に入ると落車などのトラブルに巻き込まれやすい。前に出て廻るか、後ろについて距離をとるかを考えていました」

 トライアスロンにおけるバイクは駆け引きが求められる種目だ。単に先頭をぶっちぎればいいというものではない。前を走ると風の抵抗を受け、その分、体力を消耗する。かと言って、その後のランを考えると大きな遅れは許されない。集団内にいる各選手の実力や調子を見極め、トップをローテーションしたり、バイクの得意な選手の後ろについて、どこかで抜け出す機会をうかがう。 
 
 この9日前に実施されたITU世界選手権シリーズグランドファイナル北京大会。細田はアップダウンの激しいバイクコースで第1集団に入ると、最後にスルスルと順位を上げ、ランへのトランジッションでうまくトップ集団を走ることができた。最終的にはランで引き離され、18位だったが、一時は入賞圏内の7位まで順位を上げた。

 細田はその再現を狙っていた。6周目に入った時点で10位に順位をあげたが、7周目では一旦、集団の後ろについた。
「周りの選手の状況を見ると、みんな足を使って消耗していた。“前に出ろ”と指示があったのですが、冷静に勝負どころを狙っていました」
 作戦は当たった。ラスト1周、一気にスパートをかける。赤レンガ倉庫横の直線を抜け、山下公園に戻ってきた時には3位まで順位を上げていた。

 スイムとバイクは世界と戦える

 だが、世界の壁はまだ高く、厚かった。ランの1.7キロ地点、後ろから追い上げてきたジョアン・シルバ(ポルトガル)に抜かれる。男子のトップ選手になると、10キロを30分台で走り切る力を持っている。ランだけでも陸上選手なみの走りが求められるのだ。1周目は快調に飛ばしていた細田も世界のスピードを前にして苦しいレースを強いられる。前に進もうとするが、アゴが上がり、ももが上がらない。2周目に入ると後続の選手に次々と抜かれ、順位を下げていった。

 この大会は北京五輪の代表選考レースも兼ねていた。8位以内で入賞すればロンドン行きの切符が手に入る。せめて8位はキープを――。その願いもむなしく、体力は限界を超えていた。ラスト1周を切って9位に転落。最終的にはトップと1分20秒差、8位とは15秒差の10位だった。
「これが自分の実力です」
 ゴール後、細田はサバサバした表情でレースを振り返った。世界選手権シリーズでの10位は日本男子の史上最高位。入賞は逃したとはいえ、日本勢が世界と対等に戦える可能性を示した。

「あのレースで自分の殻を叩き割った感じがあります。自信になりました」
 横浜大会から、約1カ月半、10位という結果を細田は前向きにとらえている。2005年にジャパンカップランキングで1位になって以降、伸び悩んでいた26歳は今季、充実のシーズンを送った。横浜大会からわずか中4日で開催されたアジア選手権(台湾・宜蘭)では、疲労が蓄積しているなか、ランで山本良介ら日本人のライバルたちを引き離し、優勝。10月16日に開催された日本選手権東京湾大会ではスイムから先頭を泳ぎ、バイク、ランとも積極的なレース運びで初優勝を収めた。

 まだ代表内定は勝ち得ていないとはいえ、初の五輪行きは目前だ。ITU世界選手権シリーズのランキングは日本人で最上位。来年4月のアジア選手権(館山)で1位になるか、5月末までの世界選手権シリーズで8位以内に入れば選考基準をクリアする。
「ここ3年ほどでスイムとバイクは世界と戦える自信はつきました。今年のレースでも完全に出遅れたものはありませんから」
 課題のランも横浜大会で最初にトップスピードで突っ込んだことで世界のレベルを体感できた。
「内定を取るだけなら、8位狙いでペースを抑えて走ることもできたと思います。終わった後は悔しかったですけど、今はあれでよかった。来年の8月に世界のトップに立つためには、やはりトップで走る経験が必要でした」

 細田は世界が注目する大舞台に立つことだけでなく、世界を驚かせるレースをしたいと考えている。目標はズバリ、金メダル。トライアスロンが五輪競技になったのは2000年のシドニー大会からとはいえ、連覇を達成した選手はいない。トップクラスの力量差は紙一重。スタート地点に立てば、チャンスはどの選手にも平等だ。

 横浜で先頭に立ったのは1.7キロ、時間にすれば約5分の出来事だった。しかし、このわずかな距離と時間が今の細田にとってはかけがえのない財産になっている。山下公園から全力で走ったあの道は、ロンドン・ハイドパークでのビクトリーロードへとつながっていく。

(第2回へつづく)

細田雄一(ほそだ・ゆういち)プロフィール>
1984年12月6日、徳島県生まれ。小学校5年時に姉の影響で大洲ジュニアトライアスロンで初めて大会に参加。池田中学2年時からオーストラリアに留学し、地元のトライアスロンクラブの練習に参加する。03年の帰国後、稲毛インターに入り、日本選手権で5位入賞。05年にはジャパンカップランキング1位に輝く。その後、所属先の変更やケガなどもあって伸び悩むが、10年にITUワールドカップ石垣島大会で国際レース初の表彰台(2位)を経験。アジア大会では金メダルを獲得する。11年は9月のITU世界選手権シリーズ横浜大会で日本人過去最高の10位。10月の日本選手権では初優勝を収め、ジャパンカップランキングでも1位を獲得した。ITU世界選手権シリーズの最新ランキングは37位。ロンドン五輪日本代表の最有力候補。身長175センチ、体重63キロ。
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(石田洋之)
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