北海道日本ハムの梨田昌孝監督は、じっと腕組みをしたまま動かなかった。
 10月30日のパ・リーグクライマックスシリーズ・ファーストステージ、埼玉西武対日本ハムの第2戦である。2−1で西武リードという緊迫した展開で迎えた9回表。日本ハムのマウンドには4番手の増井浩俊。今季、セットアッパーとして花開いた増井はこの日も8回をなんとか抑えて、2イニング目である。
 ただし、この回は明らかに高めに浮くボールが目立ち始めていた。フォークも落ち切らずに高めに入る。
 そろそろ危ないのかな、と思っていた2死1、3塁から、高めに暴投が出た。これで3塁走者が返って3−1。西武は決定的な2点のリードを奪った。

 ここからである。前日の初戦を落とした日本ハムは、この試合に負ければシリーズ敗退が決まる。どうしても負けられない瀬戸際である。しかも9回表、自軍はここまでホフパワーのソロホームランによる1得点のみ。これ以上、点を取られたら、万事休す。マウンドの増井は疲れが色濃い……。誰がどう見ても、交代である。いや、3点目が入ったところでもはや手遅れなのかもしれない。しかし、それでも動かざるを得ないだろう。
 梨田監督は、腕組みをしたまま、じっと動かなかった。
 結果だけを記すと、増井がさらにタイムリーを打たれた後、宮西尚生に代えたら、これが中村剛也にホームランを浴びて大量失点。結局この回だけで6点を取られ、そのまま1−8で敗退したのでした。

 それにしても、なぜ、増井の続投にこだわったのだろう。
 以下は、全くの想像である。
 増井は、梨田監督がセットアッパーに抜擢し、今季、日本ハムのブルペンを支えてきた投手である。この日の試合は、先発・武田勝、中継ぎウルフとつないで、増井−武田久のリレーで勝つ。それがゲームプランだった。その増井には、任せたイニングは必ず投げ切ってもらう。そこを安易に変更すると、日本シリーズまで見据えた投手起用の戦略が破綻してしまう。

 さらに妄想をたくましくすると、退任を控えて、自分が育てたセットアッパーの姿を見届けておきたかった……かもしれないし、3点入った時点で、あっさり負けを覚悟したのかもしれない。
 前日の第1戦では、先発ダルビッシュ有を7回で降ろしている。まだ2−1とわずか1点しかリードしていないのに、だ。現にリリーフ陣がつかまって、最終的には延長で逆転負けを喫してしまう。これには、ダルビッシュは100球をメドにすれば、中4日で次の福岡ソフトバンクとの第1戦に登板できるから、という説明があった。結果的には、西武に負けたので、ダルビッシュがソフトバンク戦に先発することはなかったのだが。

 この2つの梨田采配は、なかなか示唆に富んでいる。
 まず、ダルビッシュの降板について。「日本シリーズに勝つこと」を目的としてクライマックスシリーズを戦っている、という前提に立てば、確かにまっとうな戦略である。2−1とわずか1点リードの状況でも予定通りダルビッシュを降ろすべきか否かは、もちろん意見が分かれるだろう。
 まずは西武に勝って、ファイナルステージに進まなければいけないのだから、予定を変更して9回まで完投させて第1戦をとるべきである、という感想も多いのではないか。実際にダルビッシュはシーズン中、130球完投なんて平気でやっているのだから。
 増井のケースも同じような異論はあるはずだ。暴投で3点目を取られたところで即交代。後がないのだから、武田久かあるいは、おそらく第3戦先発予定だったケッペルをつぎこんででも、後続を断って、9回裏に賭けるべきではないか。

 あえて分類すれば、ダルビッシュ続投、増井交代は、アマ野球的采配。ダルビッシュ交代、増井続投は、プロ野球的采配ということはできないだろうか。
 ここで、プロ、アマというのはレベルの差を言っているのではない。野球の形態を指している。
 プロ野球はペナントレースが基本である。毎日試合があるし、毎年試合がある(引退、あるいは解雇されなければ)。1年間のトータルで勝者を決める。
 アマ野球は、トーナメントである。高校野球が象徴的なように、負けたら終わり。一戦必勝である。
 これは、善し悪しの問題ではない。正邪でもない。在り方の問題である。

 例えば、セ・リーグのペナントレース終盤を思い出してほしい。10月に入って中日が東京ヤクルトを逆転して首位に立ち、優勝した。
 10月に中日にはヤクルト4連戦を含む13連戦という日程があった。ヤクルトに4連勝して優勝を確実にした後、13連戦の最後に組まれた巨人との3連戦に3連敗して、マジック1で足踏みすることになった。この時の落合博満監督のコメントを覚えているだろうか。
「13試合のトータルで考えているんだから。13連戦始まる前にどこにいるのか、終わった後にどこにいるのか。それしか考えていない」

 つまり、巨人に3連敗しても、一向に構わないと言っているのだ。トータルで8勝4敗1分けという結果が出たのだから、それでいいのだ。ひとつの巨人戦ではなく、13試合のトータル。この考え方は端的に、目先の1勝ではなく、シーズンのトータル144試合でどうなるか、という発想に結びつく。そして、これこそが、中日がヤクルトを大逆転して優勝できた理由である。
 先の分類で言えば、要するに落合監督は、プロ野球的な采配をする監督なのである。

 容易に想像がつくように、このプロ、アマ図式は、ペナントレースか短期決戦か、という図式にも結び付く。従って、梨田采配は、トータルを見過ぎたのであって、クライマックスシリーズという短期決戦には、少々似つかわしくなかったと言うこともできるのかもしれない。
 ただ、さらにもう一言付け加えてみたい。プロは、梨田的采配でいいのではないか、と。これまで何度も申し上げたように、そもそもクライマックスシリーズという制度に問題があるのだ。なぜ、3位でも日本一になれるのか。その根拠はどこにあるのか。無理につくられた短期決戦に本当に意味があるのか。1年のトータルであるペナントレースの優勝こそ、重要なのではないか。
 梨田監督がそこまで意識的であった、とは言わない。
 しかし、あの采配は退任が決まっている監督の、後へ続く者たちへの暗黙の伝言になっていたのではないだろうか。

 そして、もう一人。退任の決定している落合監督。“クライマックスシリーズ体制”とも呼ぶべき現在にあって、なおかつプロ野球的采配を貫く姿勢は、高く評価されるべきだろう。
 中日がセ・リーグ優勝を決めた翌日のスポーツ紙には、落合中日に関するさまざまな記事が掲載されていた。その中に、小さいけれども、極めて印象的な記事があった。10月19日付の日刊スポーツである。
 荒木雅博が、おそらくは不振の故であろう、精神面で悩んだ時、落合監督がかけた言葉だそうだ。
「心は技術で補える」
 これは、あらゆるプロフェッショナルが心に刻んでおくべき名言である。
 そして、あえて言いつのれば、今回触れた梨田采配もまた、この思想の延長で行なわれたと思いたいのである。

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
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