11月12日の土曜日も深夜に近づいた頃、MGMグランドガーデンの記者会見場に登場した両陣営の表情と態度がすべてを物語っていた。
 判定への不満をまくしたてながらも、「自身のパフォーマンスには納得している」と、どこか満足げだったファン・マヌエル・マルケス。試合終了から2時間後に会見場に現れ、3つの質問に答えただけで慌ただしく去っていったマニー・パッキャオ。両者の表情を見る限り、どちらが勝者なのか分からなかった。
(写真:普段は愛想の良いパッキャオもマルケス戦後は言葉少なだった)
「マルケスとはもうやらせたくないが、(この内容では)再戦しないわけにはいかないだろう。その機会を与えなかったら間違っているよ」
 パッキャオの代わりに遅くまで記者たちの相手をしたフレディ・ローチトレーナーは、まるで判定に救われたと認めるかのようなコメントを残していた。さらに「スポーツイラストレイテッド」電子版の報道によると、ローチは「次の試合前に(格下相手の)チューンナップ戦を挟みたい」とまで語ったというのだから、パッキャオ陣営の落胆ぶりが窺い知れるというものである。

 パッキャオが保持するWBO世界ウェルター級王座をかけて行なわれたタイトル戦は、序盤から大方の予想を裏切る展開となった。
 マルケスは相手の打ち終わりにカウンターを的確に合わせる戦術を着実に実行し、絶対有利と目されたパッキャオにペースを掴ませない。過去2戦でのマルケスは深追いし過ぎたところに強烈なパンチをもらってダメージを受けたが、今回は最後まで冷静に戦い抜いた。

“ウェルター級で戦えばパッキャオ絶対有利”という多くの予想に反し、筆者は「パッキャオがメイウェザー以外に負けるとすればこの試合」と何度か記してきた。そして実際に、ほぼ想定した通りの流れになった感がある。
 マルケスはパッキャオにとって“悪夢のマッチアップ”。パッキャオの1勝1分けだった過去2戦(フェザー級、スーパーフェザー級)よりウェイトは増えても、両者の骨格自体は変わらない。だとすれば、マルケスにとって慣れない階級で戦うハンデも目減りする。特に身体づくりが上手くいったように見えた今回の試合では、相手のタイミングを見極めるマルケスの巧さは効力を発揮し続けた。
(写真:マルケスのカウンター戦法と冷静な試合運びは見事だった)

 ご存知の通り、それでもジャッジは2−0(116-112、115-113、114-114)でパッキャオの勝利と採点し、フィリピンの英雄の手を上げた。結果が発表されると、メキシコ人が多かった会場には大ブーイングが満ちあふれた。しかし、ここで下された判定が“不当”だったとまで言うつもりはない。
「マルケスが勝ったような印象を受けたが、ポイントを数えてみると私の採点はドローだった。採点にはすべてのラウンドが含まれることを忘れるべきじゃない。“印象”と“合計のスコア”が異なるのはよくあることだ」
 HBOのアナウンサー、ボブ・パーパ氏が試合後にツイッター上でつぶやいたそんな言葉に同意したい。ファイト全体を振り返るとマルケスは幾つかのラウンドをより分かり易い形で制し、パッキャオが奪ったラウンドは際どいものが多かった。それゆえに見た目の印象以上にスコアは競ってしかるべきで、採点自体はどちらに転んでも不思議はなかったのだろう。

 ただ……、よりプラン通りの戦術を遂行できたかのがどちらかと考えたとき、分があったのは明らかにマルケスの方だ。そして採点自体に話を戻しても、やはり現地ではマルケス優勢と記したものが圧倒的に多かった。

「リング」誌のウェブサイトの統計によると、リングサイドに陣取った20人のメジャー媒体の記者のうち12人がマルケス勝利と採点。ドローが7人で、1点差でパッキャオ勝利と付けた者は1人だけだった。筆者は会見場で1人のフィリピン人ライターと話す機会があったが、「接戦だった」と前置きしながらも、「マニーの負けだよ」とうなだれていた。
 現場で採点した人間は、スタンドに陣取ったメキシカンたちの大歓声に少なからず影響を受けた部分はあったのだろう。ここしばらくはパッキャオの圧勝を見慣れ過ぎてしまっていたため、久々の苦戦に過剰に反応してマルケスにポイントを振り過ぎた者も、あるいはいたかもしれない。

 しかし、それらを差し引いた上でも、やはり12日の試合では内容的にマルケスがパッキャオをやや上回っていたのではないか。
 特に試合中盤では、マルケスの技巧の前にパッキャオは攻め手を失ってしまったようにも見えた。そして、それと同時に、ほとんどフィクションの領域に近かったパッキャオの不可侵のオーラが、ここでかなり薄れてしまった感も否めなかった(注/これまで積み上げてきた業績の価値が失われたという意味ではない。“常識を越えた超人”というイメージが薄れたということ)。

 この“人間に戻ったパフォーマンス”の後で、パッキャオはいったいどこに向かうべきなのか。苦しみながらも一応は勝利を手にしただけに、さっそくフロイド・メイウェザーとの頂上対決が再び話題となり始めている。
「長く待ち望まれたパッキャオ対メイウェザー戦は、(パッキャオの拙戦のおかげで)すでにかなり色褪せてしまった。結果として、この一戦が生み出す興行収入も減ってしまうかもしれない」
「ESPN.com」のキエラン・マルバニー記者がそう指摘した通り、パッキャオが近年最大の苦戦を喫した直後の今は、“スーパー・スターウォーズ”を行なうのに最善のタイミングではないのだろう。ただボクシングビジネスとは微妙なもので、どちらかが負けるか苦しんだ後の方がライバル対決の交渉はむしろ進みやすくなったりするものである。

 本人がどれだけ否定しようとも、無敗レコードに拘るメイウェザーはこれまでパッキャオ戦を避けている感は否めなかった。しかし自身と同じカウンターパンチャーで、しかも2009年に楽々と下したこともあるマルケスに苦しんだのを見て、今のパッキャオと対しても大きなリスクはないと考えるかもしれない。
 未だに相容れないプロモーターのボブ・アラムとメイウェザーの関係がネックではある。ただ、メイウェザー本人が熱烈に望みさえすれば、近年最大のビッグファイトの成立は不可能ではないのではないか。
(写真:メイウェザーは来年5月5日に次の試合を行なうことを表明しているが……)

 しかし、その一方で、これはあくまで筆者個人の想いだが、ローチ氏の言葉にもあった通り、パッキャオにはメイウェザー戦よりも前にマルケスとの第4戦の機会を与えるべきではないかと考える。
 そう願うものは少数派なのかもしれない。パッキャオとマルケスは何度戦っても同じような展開になりそうで、もう飽きたという人の方が多いだろう。特に今回の第3戦の前半は両者とも慎重で、互いを知り尽くしているもの同士の難しさが感じられた。第4戦を行なっても内容、展開に大きな変化はなさそうなのだとすれば、とにかく生き残ったパッキャオは、ここでもうメイウェザーだけに絞るべきという考え方も理解できる。

 ただ……個人的に、メイウェザー対パッキャオは誰もが納得する正真正銘の頂上決戦であって欲しいと思ってきた。他の誰をも寄せ付けない現代のスーパーボクサー2人が、リング上で向かい合う。恐らくは筆者の生きている間では最大のビッグイベントであり、歴史上でも最高クラスの試合になると期待してきた。それが、現時点ではどうだろう?
 前記したマルバニー記者の言葉通り、パッキャオ対メイウェザーは多くの人々の心の中ですでに少々格下げされてしまった。たとえ相性の産物だとしても、前の試合で空回りを続けたばかりの選手の次の試合を、素直に「世紀の一戦」とみなすことは誰にとっても難しいのである。

 マルケス戦のパッキャオは、パンチのキレ、踏み込みの鋭さともに物足りないように思えた。すでに32歳だけに、スローダウンが始まったとしても無理もない。しかしその一方で、不調の原因は他にもあったのではないか。
「私の指示した方法で調整して臨んだのがデビッド・ディアス、オスカー・デラホーヤ、リッキー・ハットン、ミゲール・コット、ジョシュア・クロッティ、アントニオ・マルガリート戦で、おまえのやり方を通した末に戦ったのがシェーン・モズリー、マルケス戦だ。(試合内容の違いは)一目瞭然だろう」
 マルケス戦前の調整に身が入らなかったというパッキャオに、コンディショニングコーチのアレックス・アリーザは試合翌日、そう伝えたという(注/パッキャオはモズリー戦の中盤にも足にけいれんを起こしていた)。

 長く続いた連勝街道に、慢心した部分はあったのだろう。そんなパッキャオがこの苦戦で目を覚まし、しっかりとした準備さえ積めば、相性最悪のマルケス相手にも、もっと上質な試合はできると見る。
 顔面ではなくボディへの左ストレートを有効に使い、絶え間ないサイドステップを忘れてはならない。心身ともに最高の状態で臨めば、圧勝は難しくとも、より明白な形でマルケスに勝つことは可能だと信じる。そしてこのライバル対決に完全な終止符を打った上で、堂々とメイウェザー戦に挑んでほしい。

「その間にメイウェザー戦の時期を逃してしまう」と感じる読者もいるかもしれない。だが、どのみちもう最善の時期は逃した感はあるのだし、来年5,6月にそれぞれ前哨戦をこなした上で、11月に対戦すればギリギリ賞味期限内と言えるだろう。
 そしておそらく五分五分に近い予想が出されるであろうマルケスとの第4戦は、実現すれば極めて重要な試合となる。それはある意味でメイウェザー戦以上に、パッキャオのレガシーを左右する1戦になるのではないかと思う。
(写真:ラスベガスのMGMグランドガーデンを舞台にした強者たちのサバイバル戦は、2012年にクライマックスを迎えそうな予感)

 ここで負ければ、マルケスとの勝負付けは終わり、下手をしたら過去の3度の直接対決の結果にまで改めてケチを付けられかねない。勝てば真の意味でメイウェザー以外に相手はいなくなり、また新たな勲章も加わる。それほど大切な一戦に、パッキャオがどんな状態で臨んでくるかを見てみたい。

 いずれにしても、そろそろフィナーレに近づきつつあるパッキャオの偉大なるキャリア最終章が、どういった形で描かれるのかに興味はそそられる。
 次の相手は、因縁のマルケスか、運命のメイウェザーか。願わくば、あと1年の間にマルケス、メイウェザーと連戦すれば、それこそが理想的なエンディングであるように思えてならないのである。


杉浦大介(すぎうら だいすけ)プロフィール
1975年生、東京都出身。大学卒業と同時に渡米し、フリーライターに。体当たりの取材と「優しくわかりやすい文章」がモットー。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、ボクシング等を題材に執筆活動中。

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