今季のプロ野球は、日本シリーズで中日を破った福岡ソフトバンクの8年ぶりとなる優勝で幕を閉じました。現在はストーブリーグ真っ只中。青木宣親(東京ヤクルト)、中島裕之(埼玉西武)はポスティング制度でのメジャーリーグ挑戦を宣言し、国内においては村田修一(横浜)がFA権を行使することを発表しました。果たして彼らはどの球団で来季の開幕を迎えるのか。まだまだプロ野球から目が離せませんね。
 今季のストーブリーグにおける最大の注目選手といえば、菅野智之投手(東海大)でしょう。周知の通り、先月末のドラフト会議で、菅野投手は巨人と北海道日本ハムからの1位指名を受け、クジの結果、彼の交渉権は日本ハムが獲得しました。伯父である原辰徳監督(巨人)の下でプレーすることを望み、ドラフト当日まで巨人の単独指名が濃厚とされていた菅野投手にとって、日本ハムの指名は青天の霹靂だったことでしょう。しかし、それはルールに沿った日本ハムの戦略であり、それがドラフトでもあります。菅野投手の家族が、ドラフト前の指名あいさつがなかったことに憤慨しているという報道もありましたが、それはあまりにも横暴な考えと言わざるを得ません。

 そして、長野久義選手、澤村拓一投手に続いて3年連続で“単独指名”を狙った巨人に対して反論の声も少なくありませんが、私は“単独指名”を望む選手が毎年のように出てくるというのは企業努力の賜物だと思っています。逆に他球団も見習うべき点が多々、あるのではないでしょうか。

 さて、渦中の菅野投手が日本ハムとの話し合いを経て導き出した答えは“浪人”でした。インタビューを見たところ、これだけの注目を浴びながら、自らの決断を堂々と話している姿は、非常に好印象を受けました。とはいえ、私見を述べれば、第一に「もったいないな」というのが正直なところです。あれだけの素質があるピッチャーですから、プロのマウンドで投げる姿を見たかったなと。日本ハムも即戦力に十分になり得ると思ったからこそ、リスクを背負ってまで1位指名をしたと思うのです。

 もちろん、今回の決断は自分一人の考えではなく、周囲の意見をくみ取ってのものだったことでしょう。しかし、菅野投手はプロの世界で野球をやりたいと思って志望届を出したはずではなかったのかなと、疑問に思ってしまうのです。伯父である原監督の下で野球をやりたいという気持ちはわかります。しかし、その原監督は彼が現役の間中、巨人の指揮官をしているとは限りません。いえ、それどころか、2年契約とはいえ、来季、結果を出さなければ解任の可能性さえあることは既に球団が示唆しているのです。さらに、来年のドラフト会議で巨人が単独指名する保証もどこにもないわけです。

 そんな中、社会人野球でもなく、浪人という道を選んだ菅野投手は大きなリスクを背負うことになります。何度も言いますが、彼の素質は一級品です。しかし、素質の高い選手がプロに入ってスムーズに活躍できるかといえば、過去の例を見れば一目瞭然。プロはそれほど甘い世界ではないのです。加えて、浪人の道を選んだ菅野投手は実戦経験においては、ぽっかりと1年間のブランクができるわけです。

 23歳という伸び盛りの時期に実戦経験はゼロ。プロや社会人ではできたはずの、レベルの高い選手との対戦は1年間ないわけですから、経験値は上がるどころか、下がる危険性さえあります。その分、成長の度合いが遅くなることはやむを得ないでしょう。それを補うだけのものを浪人生活で得ることができるかが非常に重要になってくるわけです。「どの球団でもいい」「育成でも構わない」と、わずかでもチャンスを望んでいる選手がたくさんいる中で、そのチャンスを菅野投手はみすみす手放そうとしている。そう考えると、やはりもったいないという気持ちを抱いてしまいます。

 しかし、菅野投手も多くのリスクがあることを覚悟の上で、浪人という道を選んだのだと思います。そうであるならば、周囲がとやかく言う必要はありません。もちろん、交渉権のある日本ハムは最後まで誠意をもって説得する必要はあると思いますが、その他は彼が決断したことを受け入れ、見守るべきでしょう。本当に力があるのであれば、1年後もドラフトで指名されるはずです。その時、複数の球団から手が挙がるほどの存在になってほしいと思います。それが与えられたチャンスを自らの意志で手放した菅野投手の責任でもあると思うのです。せっかくの素質あるピッチャーですから、とにかく将来、日本を代表するピッチャーになってほしいなと願っています。

佐野 慈紀(さの・しげき) プロフィール
1968年4月30日、愛媛県出身。松山商−近大呉工学部を経て90年、ドラフト3位で近鉄に入団。その後、中日−エルマイラ・パイオニアーズ(米独立)−ロサンジェルス・ドジャース−メキシコシティ(メキシカンリーグ)−エルマイラ・パイオニアーズ−オリックス・ブルーウェーブと、現役13年間で6球団を渡り歩いた。主にセットアッパーとして活躍、通算353試合に登板、41勝31敗21S、防御率3.80。現在は野球解説者。
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