マリナーズのイチローと北海道日本ハムの稲葉篤紀が少年時代、愛知県豊山町の同じバッティングセンターに通っていたというのは有名な話だ。
 日米通算3706安打のイチローとNPB通算1966安打の稲葉が少年時代からそこで打棒を競っていたのだから、考えてみればハイレベルなバッティングセンターだ。

 過日、札幌で稲葉と話す機会があり、少年の日のイチローについて聞いてみた。
「彼の存在に初めて気づいたのは僕が中1、イチローは小学校6年生でした。ジャージ姿でお父さんと一緒に来ていました。
 体は細かったんですが、バットを持たせるとびっくり。120キロのストレートを木のバットで完璧に打ちこなすんです。もう、100パーセント、ヒットの打球。左打席用で120キロのところはひとつしかなかったので、僕とイチローが入れ替わりで打つのですが、会話をかわした覚えはありません。とにかくイチローは黙々と打ち込んでいましたね。
 印象に残っているのはスイングの柔らかさ。振り切るとムチがしなるようにピシーッとヘッドが走るんです。僕よりもひとつ年下だと聞いて驚きました」

 中学卒業後、稲葉は中京(現・中京大中京)、イチローは愛工大名電と、ともに県下の強豪校に進む。稲葉が3年の夏、両校は甲子園出場をかけて県大会決勝で対戦し、この時はイチローのいた名電に軍配が上がっている。
<もし、タイムマシンで好きな時代に行っていいと言われたら、僕は迷うことなく高校時代に行くことを選択します。それも今のバッティング技術や野球の知識を持って。それなら甲子園出場の夢がかなうかもしれないからです。>
 稲葉は自著『躍る北の大地』(ベースボール・マガジン社新書)で、そう述べている。

 バッティングセンターで育った2人の巧打者。それは日本独自の野球文化の賜物と言っても過言ではない。バッティングセンターをなめてはいけない。

<この原稿は2011年12月26日号『週刊大衆』に掲載されたものです>

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