宣銅烈(ソン・ドンヨル)といえば1990年代後半に日本で活躍した元中日のクローザーだ。
 97年38セーブ、98年29セーブ。99年には28セーブをあげ、11年ぶりのリーグ優勝に貢献した。

 だが残念ながら中日時代の宣は全盛期を過ぎていた。80年代の中盤から後半にかけて韓国で見た彼は完全無欠だった。
 ストレートのほとんどが150キロ台。バックネット裏から見るとスライダーは真横に滑っているように映った。
 しかもコントロールが抜群ときている。当時の韓国プロ野球界では頭ひとつどころか三つも四つも抜けた存在であり、その剛腕にはメジャーリーグのスカウトも高い関心を寄せていた。

 89年に韓国で宣にインタビューする機会があり、日本プロ野球に並々ならぬ興味を示していることがわかった。
「レベルの高いところで腕を試そうするのがプロってもの。現在、僕の年俸は750万ウォン(当時のレートで約1500万円)ですが、この額には決して満足していません。韓国には兵役があるんですけど、プロ野球に5年間在籍すれば、それは免除される。だから、条件さえ整えばその後は日本でやりたいと思っているんです」

 では、もし来日した場合、いったい、どのくらい活躍できるのか。ピッチャーを見る目にかけては当代随一と言われた江夏豊に韓国で撮ったビデオテープを見せた。
 返ってきた答えはこうだった。
「実力的には間違いなく活躍するやろう。日本にこのクラスのピッチャーはおらん」
 しかし、と江夏は言葉を切り、来日に否定的な意見を口にしたのだ。
「宣が日本に来るのは、日本のプロ野球にとってはええことかもしれん。
 しかし、韓国のプロ野球にとっては最悪よ。韓国のバッターは皆、打倒・宣を目標にしとるんだろう? 目標にしとる選手が急にいなくなったら、間違いなく韓国のバッターのモチベーションは低下し、リーグのレベルが下がる。
 そう考えると、オレは宣の来日には素直に賛成できんな。韓国の野球事情も考えてやらんとな」

 20数年前の話をわざわざ冒頭で紹介したのは、ひとりのピッチャーを見ていて、全盛期の宣を思い出してしまった。
 その男の名前は北海道日本ハムのダルビッシュ有。今オフ、ポスティング・システムを利用してのメジャーリーグ挑戦が話題になっている。韓国プロ野球における宣の実力が抜きん出ていたように、今の日本球界でダルビッシュと互角に勝負できるバッターはいない。
 低反発球の統一球が導入され、前年に比べ、ホームラン数が約4割も減少した今季、圧倒的なパワーでパ・リーグのホームラン王を獲得した“おかわり”こと中村剛也(埼玉西武)でも今季ダルビッシュに対しては11打数ノーヒット(クライマックスシリーズでの対戦含む)。全くの子供扱いだった。

 日本ハムの先輩。稲葉篤紀が自著でダルビッシュについて述べている。
<僕はベンチで座っている位置が、ちょうどダルの前なので、彼がキャッチャーと話している言葉が自然と耳に入ってくるのですが、そのレベルの高さには驚かされます。先の先のバッターの配球まで考え、投球を組み立てているのです。
 実際の投球も、相手の狙い球を察知してそれを巧みにかわしたかと思えば、力勝負で三振も奪いにいきます。24歳(当時)にして、あれだけ完成しているピッチャーを僕は見たことがありません。>(『躍る北の大地』ベースボール・マガジン社新書)

 ダルビッシュがファイターズの先発ローテーションに定着して以降の成績は次のとおり――。(右は防御率)
 06年 12勝5敗 2.89
 07年 15勝5敗 1.82
 08年 16勝4敗 1.88
 09年 15勝5敗 1.73
 10年 12勝8敗 1.78
 11年 18勝6敗 1.44
 防御率にいたっては5年連続で1点台。400勝投手の金田正一や、神様、仏様と並び称された稲尾和久でも達成できなかった、とんでもない記録である。
 これほどのピッチャーを失えば、日本のバッターは喪失感にさいなまれるのではないか。

 ここ数年、ダルビッシュはこの国の多くのバッターにとって打倒の対象であり、ピッチャーにとっては追いかけるべき目標だった。不在の影響は計り知れない。

<この原稿は2011年12月30日号『週刊漫画ゴラク』に掲載されたものです>

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