年齢にして、私より7歳も年下なのに、彼からは常に「人生」を教わる。心の中でスタンディング・オベイションをしたくなるような、そんな生き方である。
 カズ、44歳。
 カズに初めて会ったのは26年も前のことだ。サントスFCとプロ契約をかわしたばかりのカズは、童顔の少年だった。都内のホテルで待ち合わせをした。

「ミウラカズヨシさん、お電話が入っています。いらっしゃいましたらフロントまで……」
 呼び出しのアナウンスが流れた瞬間、ホテルのロビーはハチの巣をつついたような騒ぎになった。
 ミウラカズヨシとは、いうまでもなく当時のマスメディアをにぎわした「ロス疑惑」(98年7月に無罪判決)の三浦和義さんのこと。

 テーブルに戻るなり、カズは言ったものだ。
「オレもいつかサッカーであのくらい有名になりたいなァ……」
 ブラジルの名門クラブと契約したプロ選手とはいっても、当時の知名度はその程度だったのである。

 その時の取材メモは、今でも大事に保管してある。26年も前の話だというのに、ついこの間の出来事のように思い出す。
 以下、26年前の“カズ語録”を紹介してみよう。

「ブラジルって、はっきり言って好きじゃないんです。ブラジルで聞いた音楽を、今聞くのもいやです。思い出しちゃうんですよ。ブラジルの辛い思い出を……。
 アパートにひとりでいたりすると、考えるのは日本のことばかりです。ブラジルって街自体が貧しいでしょう。覇気みたいなものもないし。いくら自分がカネ持っていても、気持ちが貧しくなってくるんです」

「睡眠も日本だと安心してとれるんですけど、向こうじゃ眠れないときがよくありますね。やっぱり“仕事の場”って意識があるでしょう。
 特にブラジルに行った時なんか、ほとんど眠れなかった。それで練習の前の日なんか、無理やり寝たんです。あれこれ考え始めると、全然眠れなくなりますから……」

「海外で生活することの恐さは随分と経験しました。僕は強盗とかにあったことはないんですが、恐ろしい場面には何度か遭遇しました。
 たとえばポーチとか持って歩いている人間がいるでしょう。すると、3人組とかが後ろからつけてきて体当たりするんです。そこに路地の方から仲間が現れて、ポーチを拾って逃げる。おそらく後で山分けするんでしょうね。だから僕は黒人の3人組とかに出会うとわざと空手の真似をするんです。向こうの人間は空手をこわがりますからね」

「ブラジルでアウェイの時なんてスゴイですよ。もう、目茶苦茶なヤジが飛んできます。和訳すると“オマエの母ちゃんは娼婦だ!”とかいうものなんですけど、これなんてまだマシな方。“日本へ帰れ!”なんて、もうしょっちゅうですよ。
 そもそもブラジル人は、日本人はサッカーできないと思っていますからね。“オマエ、サッカーできないなら空手やれ!”ってヤジられたこともありますからね。僕はこんな中でサッカーやっているんです」

「日本のサッカーのレベルをあげるためには、日本リーグの試合数を増やすしかないですね。今、年に22試合ですか。僕は12試合を2カ月半でやったことがあるんです。しかも全部、公式戦。
 たとえば日本リーグで22試合やり終わったあと、トップの6チーム、下位の6チームでそれぞれリーグ戦やるとかね。そうしないと新人も出るチャンスがなくて成長しませんよ。試合が増えれば、当然のことながら若手にもチャンスが増える。やっぱり実戦の中で経験を積んでいくのがベストだと思うんです」

 それからのことは、まるで走馬灯のようだ。
 Jリーグでの栄光、ドーハの悲劇、イタリアでの蹉跌、そしてリヨンの絶望……。夢を抱き、夢に破れ、破れた夢を必死になって繕いながら、しかし、それでも彼は前だけを向いて生きている。

 その生き方が、胸に染みるほど尊いのである。

<この原稿は1999年の『週刊漫画ゴラク』3月19日発売号に掲載された内容から抜粋し、再構成したものです>
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