誰もが予想していなかった五輪切符だった。
 昨年5月に中国・成都で開催された近代五種のアジア・オセアニア選手権。アジアで5枠の出場権を争う五輪予選を兼ねているとはいえ、競技を始めて1年半の山中詩乃にとって、五輪は夢のまた夢のように思われた。指導する才藤浩監督も「どのくらいできるか分からない。次のリオデジャネイロ五輪目指して経験を積んでくれれば」と多くは期待していなかった。
 近代五種は参加選手総当りによるフェンシング(エペ)、競泳(200メートル)、馬術、コンバイント(3000メートル走と射撃)を1日で実施する。種目が多いため、体力はもちろん経験も問われる競技だ。近代五種を始める前の山中は陸上の長距離選手。走ることは得意だったが、フェンシングの剣を持ったこともなければ、馬に乗ったこともなかった。第1種目のフェンシングを終えて参加17選手中14位。
「キャリアも技術もまだまだ不足しているので、こんなものだろうと見ていました」
 才藤監督はそう振り返る。

 初の馬術で満点!

 競泳を経ても順位は下位のままで、続く種目は馬術。これが山中にとってはもっとも大きなハードルだった。なぜなら乗馬経験の浅い彼女は危険という理由で、それまでの大会では馬術を棄権していたからだ。馬術では抽選で乗る馬が決まり、20分間の試乗時間が与えられる。馬の特性をつかみ、自分の意思を伝えながらコミュニケーションをとる大事な時間だ。

 ところが――。試乗の際、馬が暴れ、山中は振り落とされてしまった。見かねた馬術担当のコーチは、こうアドバイスした。
「馬を操るテクニックにはオマエにはまだない。馬の邪魔をしないように乗れ!」
 これが奇跡への序章になった。まさに馬なりで競技に臨むと、あれよあれよと障害をクリア。なんと満点を叩き出す。
「馬の質がよかった。運もありましたね」
 本人もビックリの結果で順位をあげ、上位が見えてきた。

 最後の種目はコンバイント。ここまでの種目の得点をもとにタイム差をつけ、1位の選手からスタートする。上位がみえてきたとはいえ、五輪出場を狙うには、まだ30秒以上の差があった。射撃が含んでも3000メートルで、この差をひっくり返すのは難しいかと思われた。だが、高校時代、国体女子5000メートルで2位に入った走力が生きた。慣れない射撃を順調にこなし、上位を猛追。3人を抜き、7位に上がる。各選手が体力的にきつくなるなか、山中はラストスパートでさらに2人をかわし、5位でゴールに飛び込んだ。
「最後まで諦めず、競技を捨てなかった。彼女の良さが五輪出場につながりましたね」
 才藤監督も驚く粘りで五輪出場権をモノにした。

 00年のシドニー五輪から正式競技となった女子近代五種で日本人が五輪に出るのは初めて。国内の競技人口が少なく、なかなか開けなかった大舞台への扉を山中はわずか2年足らずで開いた。
「出るからには五輪ではメダルを狙いたいと思っています」
 一躍、脚光を浴びたヒロインはキッパリとそう言い切った。怖いもの知らずの21歳に、ロンドンで再び奇跡が起きるかもしれない。

(第2回へつづく)

山中詩乃(やまなか・しの)プロフィール>
1990年8月3日、高知県生まれ。幼稚園から水泳をはじめ、城北中では駅伝メンバーに選ばれて県大会優勝。中3から4年連続で都道府県対抗駅伝の県代表に選ばれる。山田高では2年時に全国高校女子駅伝で県勢初の8位入賞に貢献。3年時は大分国体少年女子A5000メートルで2位に入る。09年に自衛隊入隊。近代五種を始める。転向後1年半で迎えた11年5月のアジア・オセアニア選手権(中国・成都)で5位に入り、黒須成美とともに日本女子初のロンドン五輪出場権を獲得した。身長158センチ、体重40キロ。



(石田洋之)
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