完全アウェー「アステカ」での森保ジャパンを見たかった
他ならぬメキシコのファンが一番不満を抱いているようだが、正直、「なぜ?」という思いはある。
なぜ米国なのか。なぜメキシコではないのか。なぜエスタディオ・アステカではないのか。
米西海岸での試合ということで、おそらく、会場の大半はメキシコ系のファンで埋まることだろう。だが、どれほどの観客が集まったところで、10万人以上の収容人員を誇ったアステカとはスケールが違う。熱狂度も違う。日本の選手にとっては、欧州ですら経験したことがない凄まじいアウェー感を味わえただろうし、なにより、釜本さんが五輪得点王を決めたスタジアムで戦う日本代表が見たかった。惜しい。
とはいえ、日本にとっては極めて大きな意味を持つ、6日のメキシコ戦である。
78年W杯でのメキシコは、3戦全敗、得点2の失点12という無残な成績で大会を去った。8年後の地元開催W杯では、熱狂的な声援の後押しを受けて1次リーグは突破したものの、サッカーの質自体は芳しいものではなかった。この時点での彼らの立ち位置は、アジアやアフリカと同程度か少しまし、ぐらいのところだっただろう。
だが、続く90年W杯の出場権を失ったあたりから、メキシコは変わり始めた。少数の優れた個人に頼りがちだったスタイルから、チーム全体でボールを保持し、決定力ではなくチャンスの数で相手を凌駕しようとする方向に舵を切った。後にスペインが世界に広めたポゼッション重視のスタイルだが、代表チームとして先鞭をつけたのはメキシコだったとわたしは認識している。
かつての弱小国から中堅、さらには準強豪ともいえる立場までステップアップしたメキシコは、当然、世界からの注目を集めるようになった。フィジカル勝負では分の悪い日本も、そのうちの一つだった。日本サッカー協会の中に、メキシコが目指した道は、日本が目指すべき道であると考えた人間が多かったがゆえに、アギーレを日本代表監督にという決断が下されたのだとわたしは考えている。
だが、追走者が本家を超えるのは簡単なことではない。
A代表に限らず、様々な年代で日本とメキシコは対戦をしてきたが、わたしの覚えている限り、試合内容で日本が相手を圧倒したことは一度もない。主導権は常にメキシコの側にあり、日本は耐えての逆襲を狙う。それが、ここ十数年の日本対メキシコ戦だった。
それだけに、今回の対戦の持つ意味は大きい。
近年、日本代表は世界的にも例を見ないほどの角度で戦力を向上させた。スタメンからベンチに至るまで海外組が顔を揃え、欧州での経験値であればメキシコを凌駕するまでになった。
一方で、地元開催のW杯に向け、メキシコの側も着々と強化を進めている。若手の有望株も出てきた。個人的には、以前のメキシコらしさが薄くなった印象もあるが、ゴールドカップでサウジアラビアを寄せつけなかったあたりは、さすがというしかない。当然、日本を真正面から叩き潰しに来ることだろう。
だが、そんな相手を内容で圧倒することができれば、選手たちが手にする自信は相当なものになる。得られる経験値の大きさは、ひょっとするとW杯に比肩する。
だからこそ、この試合はアステカで見たかった。日本戦がどれほどメキシコで観客を呼び込めるかも見たかった。繰り返しになるが、惜しい。
<この原稿は25年9月4日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>