米国戦「これで優勝を目指すのか」無残な試合、だった

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 もし米国のメディアに「当然の報いだ」と嘲られたとしても、わたしには返す言葉がない。

 

 来年のW杯を勝ち抜くには、いままで以上に選手層を厚くする必要がある。それはわかる。だから先発全員を入れ替えた。意図は理解できる。

 

 だが、同様にW杯での上位進出を目指し、同様に3日前にテストマッチを行っていた米国は、先発の入れ替えを5人に抑えていた。

 

 では、メキシコ戦から中2日で迎えた今回の試合相手がブラジルだったら、森保監督は全員を入れ替えただろうか。いささか強引な仮定ではあるが、それでも、彼がメンバーの総入れ替えに踏み切れたのは、控えメンバーに対する期待と信頼があったのに加え、「米国相手ならばそれでもなんとかなる」との思いがあったからではないか。

 

 それが間違っていた、とは思わない。収穫もあった。望月は武器になる。大迫は素晴らしかった。あわや“コロンバスの惨劇”と言われることになっていたかもしれない内容だったが、展開次第では逆の結果もありえた、とは思う。

 

 ただ、掲げてきた壮大な目標に、ヒビが入ってしまったのも間違いない。

 

 米国はいいチームだった。特に驚かされたのは球際の強さ。がちゃがちゃともつれた展開のあと、ボールを確保する割合は圧倒的に彼らの方が勝っていた。戦い方がフェアな分、審判を味方にもつけやすい。見るべきものがほとんどなかった94年のチームでさえベスト16に進んだことを考えれば、来年の彼らがそれ以上の好成績を残す可能性は、相当に高い。

 

 そして、大会が彼らにとっての成功裏に終わったとしたら、今回の日本戦は大きな分岐点として振り返られることになるだろう。この結果と内容によって、韓国戦の敗戦で厳しい批判にさらされていたポチェッティーノ監督は息を吹き返し、選手たちは自信を深めただろうからだ。

 

 一方、日本がこの試合でチームとして得たものはほとんどない。あえて言うなら、11人を入れ替えたらさすがに勝てないことがわかった、ということぐらいか。

 

 課題ははっきりした。

 

 米国のポチェッティーノ監督はアルゼンチン代表だった02年W杯のイングランド戦でマイケル・オーウェンを倒し、決勝点となるPKを献上してしまった人物でもある。だが、そこからの残り時間、彼はMVP級の奮闘を見せた。CBというポジションでありながら、狂気すら感じさせる迫力で敵陣ににじりよった。

 

 先にも触れた通り、望月は素晴らしかった。だが、先制点の直接的な原因は、アーフセンにあっさりと振り切られた望月にあった。問題は、この失点のあと、彼が目に見えて消極的になってしまったことである。

 

 ミスをしないサッカー選手はいない。偉大な選手と凡庸な選手を分かつのは、ミスのあと、どれだけ取り返そうとする姿勢を見せられるか、だとわたしは思う。かつてのポチェッティーノにはそれがあったし、ゴール前でゼンデハスに寄せきれなかった長友にも、同様の姿勢は見えた。だが、望月は、佐野海は、鈴木唯は、違っていた。

 

 物足りなかったのは彼らだけではない。劣勢を挽回すべく投入された選手たちにも、期待は裏切られた。彼らは逆転どころか、流れを食い止めることすらできなかった。

 

 日本はまだまだ甘いし、緩い。

 

 「これで優勝を目指すのか」と他国から皮肉られたとしても、わたしは、黙るしかない。無残な試合、だった。

 

 

<この原稿は25年9月11日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>

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