西本恵「カープの考古学」第90回<浮沈を占う3年目のシーズン編その1/8連敗で沈没寸前のカープ丸>

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 カープは創設から3年目のシーズンを迎えた。チームの環境も上向いていく中でもなかなか勝ちには恵まれなかった。後援会結成で球団資金が充実し、高卒新人投手らの入団でチームは若返りも果たした。食べるものに窮した創設1年目からは打って変わり、寮での食事に魚が並ぶこともあり、給料の遅配欠配なども解消されていた。

 シーズン中には連合国軍の支配下から独立国家としての歩みが始まり、国家が大きな船出を果たした年であった。原爆からの復興に向かう広島において、町のあちこちで食べるものに窮した時代を過ぎ、商売も盛んになってきていた。

 

沈む役目の武智丸

 この年、広島の中央魚市場では大漁が続いていた。

 新聞にも<漁場拡張で 冷蔵庫も満腹>(「中国新聞」昭和27年5月8日)との見出しが躍っていた。

 というのも、漁場の確保がされたこともあって、当時の様子を<昨年同期の三割増という好調さ><魚箱を満載したトラック岸壁の漁船がめまぐるしく行交うなかにセリの声も明るくはずんで市場はとみに活況を呈している>(同前)と伝えられた。

 

 原爆からの復興期に魚市場の大盛況からか、各家庭での食卓にも明るさが戻ってきたのだ。

 こうした大漁が続くと、自然と相場物の値段は下がるため、<もうすぐ半値>(同前)と伝えられたという。家計を守る主婦にしても有り難かったはずだ。

 

 大漁の背景には、連合国軍によるマッカーサー・ラインとして漁業の規制線が解消されたことが大きい。

<マ(※ダグラス・マッカーサーのこと)・ラインによる漁区制限の解消など講和が発効してもっともいちじるしい変化をとげたのは日本の漁場図であり>(同前)、漁が盛んになり、<水産業の伸長には大きな期待がかけられる>(同前)。四方を海で囲まれた日本の漁師らにとって大漁は、島国の面目躍如たるものであったろう。大海原を漁場として漁ができる平和な日々がやってきたのだ。

 

 この時期、大海原に船で挑む男らに最新鋭の船の誕生を告げるニュースが続いた。

<絶対沈まぬアルミ舟艇>(「中国新聞」昭和27年5月8日)

 記事によれば、お隣の山口県下関市のとある製作所で、アルミを材料とした船が造られ、大量生産に成功し、その第一号が宮島へ納船されるというのだ。材質については<アメリカの建築造船界で花形となっている耐海水性アルミ合金による>(同前)ものと伝えられている。アルミによる浮沈船ができあがったのだ。

 

 日本は、やはり海への大きな夢は捨てていなかったのだ。つい数年前に、沈まぬ船として造られた戦艦大和がアメリカの手によって沈められた。平和な時代にあってもこうした船の素晴らしさを形容する言葉として「沈まぬ」は最高の枕詞であったろう。

 

 ところが、カープ創設と同年である昭和25年に、広島の海に「沈まぬ」船ではなく、海に沈められて役目を果たす船もあった。近年、さまざまな形でメディアにも取り上げられていることからご存知の人もおられることだろう。

 

 その船の名前は、武智丸といった――。

 武智丸は第二次大戦中に、船の主要素材の鉄が不足する中、海軍がコンクリートで建造した。大戦中の物資の運搬に活用した船のことだ。武智丸は現在も沈められながら役目を果たしている。当時カープの出資自治体の一つ呉市が、その安浦地区で国に防波堤の建設を申請したものの、安浦港は浅瀬の軟弱な地盤のため、コンクリートの堤防は難しく諦めかけた。だが、戦時中の物資不足の中で造られたコンクリート船の船倉をぶち抜き、浅瀬に鎮座させることで防波堤の役目を果たした。

 

(写真:カープ初年度のシーズン前、昭和25年2月に呉市の安浦港に据えられた武智丸 【2017年頃撮影】)

 現物を見て驚くほど、ロケーション的にマッチしながら、防波堤の役割も果たしている。第二次大戦末期において、戦艦大和による沖縄への特攻作戦で「浅瀬に乗り上げて砲台となり、一億総特攻の先駆けとなれ」という指令が下されたのは有名な話だ。しかしながら、アメリカ軍による総攻撃を受け、沖縄にたどり着けず、実際には浅瀬に乗り上げることはなかった。

 

 さておき、肝心のカープ丸であるが、3年目の戦いは勝率3割を下回ってしまうことがしばしばみられ、セントラル・リーグ連盟からのお達しである“3割規定”によって、まさに沈められる寸前であったのだ。

 

厳しい船出

 カープは日本国が独立した後の対大阪タイガース戦に3連敗したものの、5月8日には、タイガースに10対3で快勝し、踏みとどまった。

 5月11日には、名古屋軍とのダブルヘッダー。初戦はエース長谷川良平を立てたが、中日先発の杉下茂を打ち崩せず、0対2で完封された。第二戦は、大田垣喜夫が好投したものの、打線がつながらず、1対3で二連敗となった。

 

 あと一歩及ばないカープの戦績は散々であった。5月11日終了時点、7勝20敗1分で勝率2割5分9厘。既定の3割に達していないのはカープのみだった。チームの処遇はセントラル・リーグ連盟にゆだねられ、解散という結末の射程圏内にあった。しかしながら、カープはない戦力を振り絞り、まさにチームの浮沈をかけて戦った。

 

 カープ丸が浮くか、沈むか——。

 これらの実権を握るとされるセントラル・リーグ連盟の鈴木竜二会長は、5月11日、名古屋軍とのダブルヘッダーを広島で観戦した。そこで中国新聞の取材に応じコメントを残している。

<「強くさえあれば、ファン、経営とも、カープは日本一」>(「中国新聞」昭和27年5月13日)と見出しが付いた。

 

「強くさえあれば」と意味深いコメントをした鈴木であるが、さらに<「全球団の中で経営面でもっとも将来性のある球団はカープだと思う」>(同前)と前置きした上で、<「会社、後援会、ファン、選手ともにチームの強化に努めていったならば模範的な球団になるだろう>というコメントを残した。この強くというのが、最低でも3割を上回らなければということに他ならない。

 

 しかしながら、鈴木がコメントを残した後もカープはまったくふるわなかった。

 5月13日は場所を後楽園に変え、巨人戦に向かう。先発は笠松実を立てた。カープは小刻みに失点を重ね、0対8で別所毅彦、西田亨の完封リレーに敗れた。翌日は、野崎泰一が好投して2対1で勝利した。かのウィリアム・マーカット少将の壮行試合(本コラム第85回)である。しかし、15日の巨人戦3戦目では、広島先発の大田垣が好投したものの、タイムリーヒットが出ず、1対2で敗れた。

 

 さらに、5月20日、巨人軍と、場所を熊本に変えて行われた試合では、前回の好投から野崎を先発させたが打ち込まれた。巨人先発の別所は好調ではなかったが、打線は打てず、1対8と大差で敗れた。さらに場所を鹿児島に移した21日の巨人戦では先発にエース長谷川を立てたが、4回から8回まで毎回得点され、0対10で敗れた。

 

 負け続けるカープは、5月28日、福山市での大洋戦も0対5で敗戦。相手先発の高野裕良を7安打とそこそこ打ちながら、無得点に終わった。新人コンビの大田垣、杉浦竜太郎が10安打された。翌日、岡山での大洋との二戦目は、先発の長谷川が初回、ワイルドピッチがからむ2失点から、調子を崩し、前半で0対5とリードを許した。後半からカープ打線にやっと火がつき、4点をあげ食い下がったが、大洋に1点を追加されて4対6で敗れた。6月1日の名古屋軍とのダブルヘッダー第一戦を0対2で落とし、第二戦を2対2の引き分けが精一杯だった。1分けを挟んでの7連敗である。

 

 もうカープは勝てないのか……。そんな気持ちにさえなったろう。6月7日は、かの武智丸が沈められた呉市において、大洋との一戦であった。

 

 カープは先発にルーキー杉浦を立て、対する大洋は江田貢一である。6回表まで2対2の接戦だったが、6回裏にカープ4番の岩本章からの4連打で2点を加えた。さらに長持栄吉がヒットでつなぎ満塁。ここでスクイズを仕掛けたが、相手バッテリーに読まれた。ウエストしたボールによって飛び出した三塁走者のみならず、二塁走者もアウトにされ、チャンスを逸した。

 

<稚拙なサインと弱気が大洋に最後の止めを刺しえない結果となり>(「中国新聞」(昭和27年6月8日)

 とどめを刺せなかったことから、逆転劇が生まれた。8回表に大洋の猛攻に遭い、4点を献上してしまった結果、5対6で敗れた。1分けをはさみ、この年ワーストの8連敗となった。

 

 3年目のシーズンを戦うカープ丸の船出は厳しいものとなった。勝率2割そこそこで、このシーズンをどう乗り切ろうというのか。次回もカープと大洋との試合、鯉と鯨の決戦である。鯉が奇跡の大暴れをして、連敗脱出なるのか――。乞う、ご期待。

 

【参考文献】

「中国新聞」(昭和27年5月8、9、13日、6月8日)

 

西本恵(にしもと・めぐむ)プロフィール>スポーツ・ノンフィクション・ライター
1968年5月28日、山口県玖珂郡周東町(現・岩国市)生まれ。小学5年で「江夏の21球」に魅せられ、以後、野球に興味を抱く。広島修道大学卒業後、サラリーマン生活6年。その後、地域コミュニティー誌編集に携わり、地元経済誌編集社で編集デスクを経験。35歳でフリーライターとして独立。雑誌、経済誌、フリーペーパーなどで野球関連、カープ関連の記事を執筆中。著書「広島カープ昔話・裏話-じゃけえカープが好きなんよ」(2008年・トーク出版刊)は、「広島カープ物語」(トーク出版刊)で漫画化。2014年、被爆70年スペシャルNHKドラマ「鯉昇れ、焦土の空へ」に制作協力。現在はテレビ、ラジオ、映画などのカープ史の企画制作において放送原稿や脚本の校閲などを担当する。2018年11月、「日本野球をつくった男--石本秀一伝」(講談社)を上梓。2021年4月、広島大学大学院、人間社会科学研究科、人文社会科学専攻で「カープ創設とアメリカのかかわり~異文化の観点から~」を研究。

 

(このコーナーのスポーツ・ノンフィクション・ライター西本恵さん回は、第3週木曜更新)

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