現在、チームは海陽町蛇王運動公園でキャンプ中です。雨天練習場もあり、非常に環境がいいのですが、このところ雨が続き、グラウンドで練習できたのが、まだ数日しかありません。初の実戦となる4日のオープン戦(対高知)も中止となり、非常に残念でした。
 開幕まで残り1カ月となり、実戦を通じて各選手の役割分担やレギュラーを見極める時期に入ってきました。特に競争が激しいのは外野のポジションです。キャプテンの関口大志神谷厚毅といった経験のある選手に加え、2年目の大谷真徳中川竜也、練習生から昇格した吉村旬平と5名がしのぎを削っています。特に20歳の吉村は走攻守が揃った活きのいい選手です。今後、オープン戦で使ってみて、どこまでできるかをチェックしたいと考えています。

 現時点での構想では、シーズンがスタートしたら極力メンバーは固定して戦うつもりです。監督によっては経験を積ませるために、出場機会の少ない選手に配慮する方もいらっしゃるでしょうが、その点は僕は“鬼”になります。なぜなら、チーム内の競争を勝ち抜けなかった選手に、いくら出番を与えてもNPBにアピールできる存在にはなれないと思うからです。試合に出たければ、レギュラーになれ。NPBに行きたければ、まずはレギュラーになれ。これからのオープン戦は、各選手に覚悟を持って臨んでほしいと感じています。

 昨年から大幅にメンバーが入れ替わった投手陣は、前回紹介した新人の山口直紘安里基生がブルペンでコントロールよく、いいボールを投げており、先発ローテーション入りが期待できそうです。ここに2年目の河野章休を加えた3人が柱になってくれればと思っています。

 2月26日に行われたアイランドリーグ選抜と阪神2軍の交流試合では、5−5の同点の最終回、あえて河野を起用しました。緊迫した場面での登板は、まだ酷かなとは感じましたが、彼には経験を積んでもらいたかったのです。結果は連打を浴びてのサヨナラ負け。たった5球で1点を失ったわけですが、ボール自体は悪くなかったと思います。

 ただ、いいボールでもコースが甘くなればNPBのバッターは逃しません。力が入って、やや中に入ってしまったところをきれいに弾き返されてしまいました。ボール1個分の出し入れがNPBでは生命線になることを本人は身を持って体感したでしょう。これがシーズンに向けた貴重な勉強になれば、と感じています。

 先発が固まれば、次に決めるのは富永一(広島)が抜けたクローザーです。まだ誰にするかは分かりませんが、2年目の小福川誉は候補のひとり。183センチと上背があり、ボールも140キロ台中盤のボールが投げられます。武器はフォークで、短いイニングを任せられるタイプの右腕です。

 しかし、クローザーは特別なポジション。ボールのスピードやウイニングショットのみならず、人一倍のマウンド度胸が求められます。ゲームを締めくくるピッチャーは、否が応でもプレッシャーがかかるもの。勝敗の責任を背負って投げるわけですから、何よりタフな精神力が必要です。

 僕の現役時代には横浜で佐々木主浩さんが絶対的な守護神を務めていました。僕たち中継ぎは「佐々木さんにつなげ」という一心で投げていたので、とても気がラクだったのを覚えています。逆に言えば、その分、佐々木さんには勝利への重圧があったに違いありません。それでも何事もなかったように投げる気力がクローザーには要求されるのです。

 果たして小福川にクローザーとしての資質があるかどうか。それはこれからの実戦で判断していくことになります。もし彼が抑えで難しい場合は、セットアッパーの岩根成海を配置転換する可能性もあるでしょう。そうすると今度は終盤の7、8回を誰に任せるかという問題が出てきます。今回、NPBから育成選手を受け入れることが決まりましたし、米独立リーグから外国人もやってきます。ドミニカのカープアカデミーからも選手が派遣される予定です。それらの新戦力も含めて、投手の役割分担を明確にしたいと考えています。

 投手陣が整備できるまでは、打線の援護が必要な試合もあるでしょう。しかし、最終的には投手力で連覇を達成できるよう、実戦で各選手の適性を見極めていくつもりです。現時点で開幕までに組まれているオープン戦は6試合。1試合1試合が勝負です。いいかたちで開幕を迎えられるよう、準備をしていきたいと思っています。


島田直也(しまだ・なおや)プロフィール>:徳島インディゴソックス監督
1970年3月17日、千葉県出身。常総学院時代には甲子園に春夏連続出場を果たし、夏は準優勝に輝いた。1988年、ドラフト外で日本ハムに入団。92年に大洋に移籍し、プロ初勝利を挙げる。94年には50試合に登板してチーム最多の9勝あげると、翌年には初の2ケタ勝利をマーク。97年には最優秀中継ぎ投手を受賞し、98年は横浜38年ぶりの日本一に貢献した。01年にはヤクルトに移籍し、2度目の日本一を経験。03年に近鉄に移籍し、その年限りで現役を引退した。日本ハムの打撃投手を経て、07年よりBCリーグ・信濃の投手コーチに。11年から徳島の投手コーチを経て、12年より監督に就任。
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